双相地区の近世史をふまえて |
今なお、福島第一原発の事故収束の見通しは立たず、国の復興施策は停滞したまま。双葉町や大熊町等帰宅困難に指定されている地域は、除染は手つかず、荒廃が進んでいます。被災者の皆さんは故郷を追われ、日々の生活のよりどころだった近隣の人々とのつながりを失い、未来を奪われた無念さと悲しみと怒りはつのるばかりです。 |
原発被災地となった「双葉・相馬地区」には、天明、天保の大飢饉に見舞われ、離散を余儀なくされたが、祖先は阿弥陀如来信仰一途に生き、働き、「二宮尊徳の御仕法」に精励し、荒廃した農村の再生に尽くし、豊かな故郷の土台を築きあげた歴史があります。 |
双相地区の近世史@ |
相馬藩の真宗門徒の移民受入政策 |
土地の寺記によると、文化7年(1821年)、加賀の国の本願寺僧が松島見物の帰途、相馬城下に泊まった折、藩の有力者が天明の大飢饉で農地の荒廃が進んだ藩の窮を打開するために、移民勧誘を頼みこみました。 |
ハア イッサイコレワイ パラットセ ♪ |
双相地区に伝わる民謡「相馬二編返し」は、相馬を誉めたたえる宣伝歌として唄われたと伝えられています。土地の人はもともと宣伝下手。多分真宗の僧侶たちが移民を勧誘するためにつくった宣伝文句がもとになっているのだ思われます。 |