皆さんを健康に長寿を生きる マクロビアンの世界へ! 橋本宙八からのメッセージ |
1947年、新潟県に生まれる。ヨガ、断食等の体験を経て、穀物菜食による健康、長寿法「マクロビオティック」に出会い、その食の持つ理論と実践法に惹かれ、以来42年、この道の研究・実践に取り組む。 |
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自然農法の創立者 今から44年前、26歳の時に私は、誰もが青春時代に抱える壁を乗り越えたいと、お寺の断食堂で生まれて始めて一週間の断食を体験しました。 その断食の直後に、それまで経験したこともないほど世の中がきれいに見え、心が平和になった体験から、いかに身体の中の汚れを落としいのちを自然で健康な状態に保つことが大切かを知りました。 その時、断食堂で、自然農法の創立者である福岡正信先生のお弟子に出会い、その農法の不思議さ、そして、素晴らしさを沢山聴く機会を得ました。その後、実際に福岡先生の講演を聞き、作られた稲の驚く程野性的な姿を見て、「農薬」も「化学肥料」も使用しない農業、「耕さない、施さない、大地を傷つけない」農法の素晴らしさを知りました。 マクロビオティック この食物による健康法もまた断食や自然農法とまったく同じ発想の中にあります。それは、「いのちの中を安全安心な食物で自然の力で健康にする健康法」であり、モットモットで狂奔する今の社会の物欲第一、経済狂奔の考え方には逆行する「あれも要らない、これも不要」の引き算の考え方です。 フクシマ復興プロジェクトが提案する「大地もいのちも傷つけない<自然なやさいづくり>」は、フクシマだからこそやれる。フクシマだからこそやらなければならない、国際社会が今も、そしてこれからもずっと注視、期待し続ける<フクシマの復興の心>ではないかとそう考えています。 ぜひ、みんなで自然な野菜づくりを始めましょう! |
自然の大地の力で育てた それまで、リンゴの栽培は、農薬も化学肥料も一切使わずに作ることはほとんど不可能と言われていました。それだけに、この木村さんの奇跡のリンゴの成功は一躍時の話題となり、たちまち全国に知られることとなりました。 なぜ、木村さんは、そんな理想のりんご作りを成功させることができたのでしょうか? 彼の著書によると、青森県でりんごの栽培をしていた木村さんは、自然農法の提唱者である福岡正信さんに出会い、化学肥料も農薬も使わないリンゴが作れないかと研究を始めました。 そんな状況に希望を見いだせなくなった木村さんは、とうとう自殺を決心するまでに追いつめられてしまいます。裏山にでかけて木にロープをかけて死のうと空を見上げたその時、その木のあまりにも見事な姿にふと我に帰り、どうしてこんなに素晴らしい木が育ったのだろうとその木の足下に眼をやります。 以来、木村さんはひたすら自然で健康な土造りに励み、やがてそれまで誰も成し遂げることのできなかった化学肥料も農薬も使わないリンゴの自然栽培に成功したのです。 良い野菜づくりも、 奇跡のリンゴは、あり得ないリンゴが作れたと言う奇跡というよりも、本来当たり前だった農のあり方に、この混乱する社会の状況の中でよくぞ気付くことが出来たという、その木村さんの本質を見る目の素晴らしさと気付きこそが、まるで奇跡のようだったからなのだと思います。 |
ガンは生活習慣病 ガンはかつては「成人病」と呼ばれていましたが、その原因を知ると必ずしも大人ばかりがかかる病気とは言えず、その原因が生活習慣にあることから「生活習慣病」と呼ばれるようになりました。 考えてみれば、現代人ほど生活習慣が乱れている時代もないと思われます。その理由は、本来自然であるべき生活環境が極端なまでに悪くなったことにあります。 「病気は自律神経の乱れから」とは医学的にも良く言われています。この自律神経の乱れの一因が、現代人が季節はずれの野菜を食べるようになったことにもあると言えるのです。 |
近代農法の深刻な行く末 世界有数の食糧生産地であるアメリカでは、農薬や化学肥料の大量投与によって大地が疲弊し、表土が流れ、塩害等によって作物が作れない大地になる危険性が随分以前から叫ばれて来ました。 その影響は、単なる経済的損失に留まらず、川や海の汚染などの自然環境の破壊、動物への影響等々無視できないレベルとなりつつあります。 高まる この深刻な問題は世界中どこでも起こり得ることであり、近年、農業者の健康被害、食の安全、安心を求める消費者の意識の高まりなどから、自然な野菜づくりを求めるニーズが世界の至るところで拡大しつつあります。 その例が、右の2つのグラフで示されている先進国を中心にした有機(オーガニック)農法に対する人々の関心の高さであり、米国オーガニック食品売上の推移です。 この潮流は今後ますます拡大、発展すると思われます。しかし、有機農法の認証を得るための規則がいろいろ大変なために申請を避ける農家も多く、小規模農家にとってはまだまだハードルの高い制度であることも否めません。 ふくしま自然やさいづくり フクシマで起きた人類未曾有の原発事故で日本の豊かな大地は、広大な範囲で放射能によって汚染されてしまいました。その大地を元のように安全、安心な自然に戻すことは誰もが願っています。 自然やさいを実際に、 一人一人が、どこに居ても、今すぐにでも始めることのできる復興のための具体的な行動、一人でも多くの人の参加を心から願っています。 |
野菜がもつ生命エネルギー なぜトマトやナスやカボチャがあんな色や形をしているのか? 勿論、野菜の種にどんな成分が含まれているかは解明されてはいるが、しかし、その種を一度バラバラにして成分をまた元通り集めても決して元の命ある種には戻らない。良く考えれば不思議なことだが、そこには、科学の理屈を超えた何か特別な力が隠されているからなのだ。 私は、この野菜の命の力のことを「生命エネルギー」と名付けている。面白いことにこの生命エネルギーは、異なる成分を持つどんな野菜でもまったく同じ類いのものだ。 簡単に言えば、それは野菜が育つのに欠くことの出来ない大地(地球)のエネルギーであり、空気や水、気圧や気温、太陽や月から不断に降がれる光や熱などのことだ。 つまり、自然界を形づくっている様々な要素のことだが、野菜の目に見えない命の力とは、これらが互いに融合、調和し合ったところから生まれて来る命の不思議な力のことである。どんなに野菜の成分をかき集めたところで、この命の力がそこに備わらなくては、絶対に野菜に生命は宿らない。そんな力のことである。 例えば、海外に行き野菜を食べたことのある人なら分かるだろうが、何処に行ってもトマトはトマト、キュウリはキュウリで色や形はあまり変わらない。しかし、その味や身体に及ぼす効果や影響は大いに違うものがある。これが、その国の気候風土によって育てられる生命エネルギーの違いによるものなのだ。 世間では、野菜の正体は、成分ですべてが分かると思われているが、それは野菜を科学的に解明して分かった一部の栄養素のことに過ぎない。しかし、野菜の命の大本は、自然そのものなのだから、野菜を食べるとは、野菜のいのちを通して自然界のエネルギーを体内に摂り込むことだとも言えるのだ。そして、むしろこの力こそが、野菜が持つ本来の美味しさの基本であり、食べた時に身体や心を元気に、そして、健康にしてくれる力の根源なのだ。 農薬や化学肥料で育てられた野菜は その結果、身体への影響に対して無関心な人は、当然、安い方の野菜を選ぶことになる。また、例え日頃から健康を考える人であっても、懐具合を考えてしまうとふと安い野菜に手を出したくなってしまう気持ちにもなるものだ。 しかし、農薬や化学肥料たっぷりで育てられた野菜は、いくら料理を上手にしても味が出ないだけではなく、当然、健康にも悪く、時としては病気の大きな原因ともなってしまう。それよりも何よりも、そうした野菜の一番の問題は、野菜の最も大切な命の力である「生命エネルギー」が、そこにはまったく欠落しているということだ。 生命エネルギーにあふれた自然野菜 もしあなたが、スーパーに並べられている自然野菜が高いなと感じることがあったら、ぜひこのことをちょっと思い出して欲しい。 |
タマネギが眼にしみるのは当たり前? それによると、普通栽培で作ったタマネギは、タマネギの刺激臭が車内一杯に広がってとても眼にしみたのだが、自然農法で作られたタマネギの場合はそんな刺激がほとんど感じられなかったのだと言う。 面白い話である。普通に考えれば、タマネギは眼にしみるのが当たり前であり、刺激が強いほど良いタマネギだと考えている人も多いと思うが、じつは、最も自然であるはずの自然農法産のタマネギは、眼にしみないと言うのだ。なぜなのだろう?という話である。 自然野菜にはアクがない! 大根も人参も葉ものも、スーパーで売られている野菜に比べたら、いわゆるその種の野菜特有のアクというものが驚くほど感じられなかった。あまりにもサラリとしていて、時には物足りなく感じるほどだったのだ。 しかし、一旦それを料理すると、どれもがじつにまろやかな旨さになって、身体にすっと溶け込むような素晴らしい味になってくれる。どうしてそうなのか?いつもその理由を考えていたのだが、よくよく考えて分かったことは、しごく当たり前のことだった。
それに比べて一般農法では、同種の野菜ばかりをひたすら一つの畑に大量に栽培する上に、化学肥料を大量に施し、農薬も大量に散布する。その上、雑草も徹底的に排除する。人間の場合で言うなら、無菌状態で食品添加物を一杯食べさせるようなものなのだ。当然、本来の野菜の味ではなく、妙なアクばかりが強く出てしまうことになる。さらに、極端に人工栽培である野菜工場などで作られた野菜の場合は、環境がさあに極端に不自然であるために、そこで育てた野菜の味は、本来の野菜のそれとは、似て非なる味となってしまうものなのだ。
植物でも動物でも、この地球上に生きるあらゆる生命は、個がいつでも全体である自然界の環境と一体中でこそ健全に育つ。異なる生命に囲まれているからこそ互いに影響し合い、調和、融合し合い、よりバランスの取れたまろやかな生命として育つ訳だ。それが本来の自然の営みであり、そんな自然な環境の中で育てられた野菜だからこそ、アクの無い眼にしみないタマネギも育つのだ。 最近、スーパーで売られている野菜のどれもが、昔の野菜と比べててっきり味が変わってしまい、旨味も、力も無い野菜が増えて来たと感じている。人間の都合だけを優先させた農のあり方に、どこかに無理が生じるからだろう。 友人がふと漏らした「眼にしみないタマネギ」から教えられたことは沢山ある。ぜひ一人でも多くの人に、自然農法で野菜を栽培してもらい、刺激もアクもない、本来のまろやかなタマネギの味を堪能してもらいたいものである。 |
なぜ「ナス」が? これは、一説によると、秋ナスほど美味しいものはない。そんな旨いものを嫁などには喰わせられない。と言った、まさに昔からある日本の男尊女卑の差別の一つだと言った説明がある。 しかし、良く考えると、これはあまりにも前時代的な解釈だ。なぜなら、旨いものはナスに限らない。身の回りには昔から山ほどあったからだ。であるはずなのに「なぜナスが?」の話である。 これを、食物による健康法(食養生)の視点で言うなら、夏の野菜の代表格であるナスは、そもそも灼熱のインドが原産地で、他の夏野菜に比べて、体を冷やしたり緩めたりする性質が強い。そのために、秋と言う寒さに向う季節に過剰に食べてしまうと、体が冷えたり緩み過ぎてしまって、女性の場合には妊娠しにくい体調になってしまうと言う話なのだ。 すでに妊娠している場合には流産の危険性だってなくはない。そんなナスを嫁には食べさせられないということで「秋のナスは嫁に喰わすな」ということになるのだ。 たしかに、いろいろな症状を食べ物の観点から診て来た経験から言うと、皮膚病や口内炎、腫れものなどの症状がある場合には食べ過ぎは少々リスクになる食材でもある。しかし、反対にナスは、肉や魚、乳製品などの食べ過ぎで太っている人にはダイエットの効果があるとも言える。 どの食材も、それぞれの個性や役割がある。いつも用途に応じて選択できる眼も養って欲しいものである。また、旨いものほどつい食べ過ぎてしまうものだ。健康維持のためには、そこそこに食べる方がいいと言うのは今更言うまでもない。 現代は、食の季節感がほとんどなくなり「旬(しゅん)」外れの食材がスーパーに溢れている。不妊症の若いカップルが増えていると聞くが、こうした食の傾向もまたその理由の一つかも知れない。 秋ナスはたしかに旨いものだが、寒さに向う季節には、そろそろ、体を冷やす夏野菜は減らして、体を温める根菜類や豆類、穀物などを食べるようにしたいものである。 着る服以上に、いのちには季節毎の衣替えが必要である。日本の食の教えには、健康になるためのこうした古人の素晴らしい智慧が至るところに潜んでいる。ぜひ大切にしたいものである。 |
食物健康法の原点は自然農法に! そんな自然農法の提唱者である福岡正信氏の教えを引き継いだ人たちは世界中に一杯居るが、その中の一人に日本で長く活躍されている川口由一さんが居る。川口さんは自分の農法を「自然農」と呼び、全国で数多くの若い実践者たちを育てている。 その川口さんとは30年ほど前に縁があり、いわきの我が家でも、自然農による米づくりのワークショップをやっていただいたことがあった。その時、心に残った思い出話が二つある。 自然農は、 じつは、その時に私は、すでに自分なりの判断で燃やしてしまっていたのだったが、「野バラは、どうしたら良かったのでしょうか?」と聞くと、彼はすかさず、「宙八さんはどうしたいと思われたんですか?」と、反対に質問されてしまった。 「ここに残して置いても始末が悪いので燃やしてしまいました」と言うと、「そうですか、それでどうでした?」とまた聞かれたので「ええ、午後から燃やし始めたんですが、山ほどあったのですっかり夜までかかってしまい、満天の星空を眺め乍ら真夜中まで焚き火を燃し続けたのですが、その気持ちの良さと言ったら生まれて始めて感じたほどの最高の気分でした!」と言うと、「そうですか、それは良かったですね!」という答え。まるで禅問答のような答えだが、それは、きっと、「素晴らしい焚き火が出来たのなら、それは何よりのことでしたね」ということであったと思う。 もう一つの話は、原野を田んぼにするための整地作業をしている時のこと。私は、田んぼにするには、雑木の根はきれいに抜きとらなければならないと考えていたのだが、さて、この切り株の場合はどうしたものかと川口さんに聞くと、さりげなく彼は、「その切り株の上に種籾をそっと置きましょうか?」と言う。余りにも思いがけない返答に、一瞬「えっ!」と驚いたが、それ以上の質問はついに私の口からは出て来なかった。 理由は、彼が何を言いたのかがすぐに分かったからだが、「根はやがて腐って肥やしになります。それまで少し待ったら如何でしょう」と言う事だったのだろうと今でもそう思っている。 今では、川口農法として広く社会に知れ渡った「自然農」は、こんな会話からも分かるように、無用、無益な人為は出来る限り捨てて、自然に寄り添う心を持つことの大切さを教えている。彼のそうした農に向き合う際の本質的心構えとも言える一言を聴けたことが、今でも忘れられない私の大切な宝物になっている。 現代に生きている私達の心の中には、目的を果たすためであれば、どんな風に自然を破壊しても構わない、と言う自然に対する甘えや暴力の心がどこかに潜んでいるように思われる。 自然農法で大切なことは、 この素晴らしい考え方は、私が探究する食物による健康づくりにもそのままそっくりと通じる言葉である。現代の私達は、あまりにも安易に、そして乱暴に、自らの身体や心の自然性を破壊してしまっている。久しぶりに思い出した川口さんの自然農に対する心のあり方は、そのまま、いのちの自然を出来る限り傷つけない、壊さない「食物による健康法」の本質でもあると改めてそう思わせてもらった。 |
花粉症の原因はアレルギー源となる食べ物 じつは、花粉症は、杉林のそばに住んでいてもかからない人はかからないのだから、必ずしも杉の花粉だけが原因であるとは言えない。空気や水の汚染、排気ガスや生活環境の悪化なども大いに考えられる。 さらに、最も直接的な原因である食物の視点から言えば、そもそも花粉症は、アレルギー体質であることが一番の問題となる。従って、その原因が花粉以外のどこから来ているものかが分かれば、治し方もそう難しいものではない。 体質は日々の食べ物から作られる。従って、アレルギー源となる食べ物を突き止めてそれを食い改めることが出来れば、症状も体質も自然と改善する。
この悪しき食環境にさらに拍車をかけているのが、美食、飽食、ジャンクフードやファーストフードなどの現代人の食習慣である。この食の実態を知ると、もはや、現代人がアレルギーにならない方がむしろおかしいとさえ言える。 花粉症を根本から改善するには何よりまずこうした化学物質を可能な限り体に取り込まないことなのだが、この簡単な食の改善も、じつは、好き嫌いが絡むことなので結構難しいことでもある。 無農薬、無化学肥料などの自然野菜や穀物 その原因となる食べ物は、多くの人が好む揚げ物、脂肪の多い肉や魚、乳製品、甘い菓子類、果物、アルコール、甘いジュース類等だ。 生姜のすりおろし汁による やり方はいたって簡単。少し大きめの鍋にたっぷりとお湯を沸かし、一度沸騰させたお湯を80度ほどの温度に下げてその温度を保ったまま、そこに一かけら5センチほどの生姜のすりおろし汁だけを入れる。 そのお湯に、二つか四つに長く折ったタオルかバスタオルをつけて良く絞り、それを鼻や眼の上に乗せて冷めないようにバスタオルで覆う。これを何度か繰り返すだけで花粉症の辛い症状はかなり改善できる。至極安上がりで簡単な治療法もなので、花粉症で苦しんでいる皆さんにはぜひオススメする。 |
糖尿病がガン以上に危険領域に! 「糖質制限」という食事法が流行っているが これではまるで米や麺類などの炭水化物が病気の原因のようにも聞こえるが、コメを長年主食とし世界有数の長寿国を実現した日本であること、また、健康のために玄米食を薦める立場から言えば、これには大いなる異論を唱えたい。 元来自然であるべき現代人の体が化学物質でいっぱい 白砂糖の過剰摂取も大問題 この高純度の糖分が食品の質や味を安定させ、防腐剤代わりにもなると言うことからパンを始めとしたあらゆる加工品や料理等にも大量に使われている。最近の惣菜や外食は元より、家庭内の味付けでさえ異常に甘くなっているのは、誰もが周知の事実である。 白砂糖は、体内に取り込まれると一気に吸収されるために血糖値が短時間に上昇する。その急激な上がり具合を抑えるために膵臓からインスリンを分泌し血糖値を正常な状態に保とうとするのだが、この状態が慢性的に繰り返されるとやがて低血糖状態が起こり、脳への糖分が不足して様々な問題を引き起こす。甘いもの好きの年寄りが物忘れが激しくなり認知症になるのも、こうした類の現象である。 また、案外気づいていないのが、自動販売機等で売られている清涼飲料水だ。例えば、コカコーラには500mlで14.1個分に相当する角砂糖が使われている。また、ファンタオレンジやカルピスには14.3個分。「カゴメの野菜一日これ一本」には200mlで3.4個分。缶コーヒーのボスとろけるカフェオレには11.1個分等々、実は、飲み物にもこれほど驚くほどの白砂糖が入っているのだ。毎日何本もの清涼飲料水を飲んだら、知らない内に何十個もの角砂糖を食べたのと同じことになってしまう。 お薦めは そこでお薦めするのが、玄米や麦、その他の精白していない穀物類を主食として食べることである。大根や人参などの野菜類もまた、できる限り皮のまま、一物全体食で食べることがより良い効果を生む。全粒穀物や野菜等のいわゆるホールフードは、普段捨ててしまっている表皮にその大きな効用があり、これらの皮ごと全体を食べる野菜や穀物は、胃腸に取り込まれる際にゆっくりと体内に吸収されるために、急激な血糖値の上昇を抑えることができる。そしてまた、人間にとって理想的な良質の糖分を脳へと供給することもできる。 さらに良いのは、こうした食物を一口50回から100回くらい丁寧に咀嚼することだ。この咀嚼は、糖尿病に限らずあらゆる病気の予防や改善に効果がある。食べ物をしっかりと噛むだけで、血糖値の上昇を抑えることができる。糖尿病や生活習慣病が心配な人には、ぜひ試していただきたい食べ方である。 |
医者は言う 熱中症からどう身を守るか?その対処法がメディアで色々報道されているが、その多くは、十分に水分を飲む、塩分をとる、屋外での運動は極力避ける、睡眠時には冷房を欠かさない、と言ったもの。ただし、めまい、だるさ、吐き気を感じたら迷わず救急車を呼ぶ!ことだと注意を促す。 さらに、この熱中症より恐ろしいのが「夏血栓」だと医師は警告する。それは、脱水症状で血液が濃縮し、血管内に血栓ができ、脳梗塞、心筋梗塞、肺塞栓症などの症状を引き起こすと言うもの。これは、一刻の猶予もならない深刻な事態だと言う。 痩せ型、肥満型別 例えば、痩せ型で一見弱そうに見えるタイプが意外にも暑さに強いと言ったことがある一方で、肥満型でいかにも元気そうに見える人間が、案外、暑さにはとても弱かったりもする。 これは、痩せ型の人は、和食のように比較的おとなしい野菜や穀物などを中心とした低カロリーの食事をとる傾向があり、日頃から体温もそう高くはなく熱がこもりにくい体を持っているからだ。 反対に、肥満タイプの人は、カロリー過多の動物性食品が多い傾向があり、体がいつも熱い状態になっているので、血液も固まり安く、血栓もできやすい。猛暑の中では大いに注意が必要な体だ。動物性食品を減らし、美食、飽食も慎む。このタイプが体を涼しく保つためにはとても重要なポイントである。 インド人から学べる猛暑対策食事法 日本人はどうすれば良いか? Hこうしたあっさり野菜の食事が続いて体力の低下が心配になったら、世間で言わ Mスパゲティやマカロニなどを野菜と一緒に食べるのは、油不足を補うためにもと 以上、あれやこれや参考例だが、猛暑の中でどういう食事を取るかは熱中症対策の有効なリスク回避となる。兎にも角にも、この猛暑を乗り切るのに命を他人任せにしていては絶対にだめだ。個々の判断と適切な行動が必要だ。是非一人一人の知恵と判断で、頑張って生き抜いてもらいたい。 |
危ない異常気象が世界各地に こうした温暖化による気温上昇の警告は、もうだいぶ以前から言われていた。それは、数十年前から確実に始まっていた。今では、誰もが肌で感じている冬の大雪やその反対の雪の減少も、そんな表れの一つだろうとは思ってはいたが、この頃では、そんなことはもはや当り前のことになっていて、今年の猛暑こそが、その温暖化の危機をリアルに体で感じさせてくれるものだと実感する。 しかし、多分、この猛暑もまた今後引き続き起こるとすれば、間違いなくこの異常な暑さや洪水などの自然災害も、また、いつしか当たり前のことになってしまう。これこそが実は、恐ろしいことなのである。 人間の環境への慣れの危険性 それは、カエルをいきなり鍋の中の熱湯に入れると、当然、カエルはその熱さにびっくりして鍋から飛び出すが、水から入れて時間をかけてゆっくりと温めて行くと、熱湯になった段階でも鍋の中にとどまっていて、本人も気づかない内に死んでしまう。と言うものである。 これこそが、まさに我々が今抱えているいのちの現状だと言う気がする。地震も洪水も台風による大災害もここ数年は次々に起きているが、もう我々自身があまり驚かなくなってしまっている。この猛暑もまた来年起きたとしても、もうさほどこの暑さも多分、もう驚くこともなくなるだろう。 人類消滅の危機とさえ言われる気候変動と自然災害の多発。個人も社会も、さしたる対策を講じられないままでいると、人間は、まさにこのカエル同様の結果を迎えるに違いない。 そんな危ないことが山ほどある社会だが、こと地球の未来や人類の生死に関わる環境異変とそこから起こる数々の災害に関しては、いつでもしっかりと事態を判断し、冷静に見る目を養って、可能な限りの対策を講じる努力を怠らず、慣れてはいけないこと!なのだと思う。 |
水の取り過ぎも危険 ところで、この危険な水分中毒に関して言えば、今のような猛暑に限らず、常日頃から現代人が水分を過剰に摂取しなければと言う恐怖心がある。医師などからも、とにかく水分はたくさん取れ!と言われることから、知らぬ間に水分は大量に飲むほどいい、と言う気持ちになっている。 現代人は こうした食習慣が続くと、知らぬ間に多血型の体質となり、血圧も高く、始終体の中が油焼けしている状態となってしまうのだ。そんな人が大半だけに、医師もまた、とにかく水をたくさん飲めと進めるのだろうし、本人もまた、どこかでそれを実感しているだけに一生懸命に飲んでしまう。 異常な暑さには この異常な暑さにも、危ない暑すぎる体と安全な涼しい体があるのだと言うことを忘れないで欲しい。熱中症の対策を、水分だけに頼らず、熱い体を作る食事を減らし、涼しい体を作ってくれる食材や料理を心がけることが大事だと言う話である。最も簡単なのは、安全、安心な野菜をたっぷり食べて涼しい体を作ることだ。ぜひ参考にしていただきたい。 |
草刈の大変さ しかし、確かに自然の暮らしは素晴らしいが、反対に、そんなに楽しいことばかりでもない。自然と向き合うことには大変な面が一杯あるからだ。 ここ京都の里山でも、そこそこに大変なことがある。その一つが草刈りだ。東北では、草刈りは年に二度もすればどうにか済んだが、ここでは、とても二度くらいの草刈りでは済まない。草の成長が驚くほど早く、5回から6回くらいは絶対に必要だ。ちょっと手を抜いたら、たちまち庭も畑も草でぼうぼうになってしまう。綺麗な環境を保っている農家の人たちに対しても、風景を乱しているようで恥ずかしい気持ちになる。 その草刈りをやる時に悩ましいのは、雑草の中に生えている可愛い野花を切ることだ。しかし、それを躊躇していたら草刈りなんか出来なくなる。いつもバッサリやって後悔する、そんな連続だ。草刈りとは非情なものでもある。 雑草の強い生命力 デリケートな畑の野菜 雑草のようにやさいを育てられないか? もう一つの秘密は、雑草は、あらゆる種類の雑草と混植し渾然一体となっていることだ。この混植であることの多様性が、雑草が持つ生命力の一番の強さの秘密なのではないか? 現代社会は、多様性を喪失する時代とも言われる。自分と異なるものを認めたがらない我の強さは、その弱さの裏返しでもある。自分の主張ばかりをし、多様な人間との交わりを避ける社会は脆弱で、やがて滅びるに違いない。 |