読書日記

    「Articulacy」という概念
           
          問題解決のための
       「明瞭にはっきり表現する力」


「新しい人」の方へ
 朝日新聞社
 大江健三郎 
英語は「論理」
 光文社新書
 小野田博一

 日本版6シグマは組織体における問題解決ツールである。問題解決の流れを「課題設定と解決」を中心に7つのラウンドに分け、情報収集、処理を通してラウンド毎に決着をつけながら論理的、累積的に問題解決を図る。ここでの「情報処理」とは、テーマに関して組織メンバーが持っている情報をもとに、日本語の曖昧で非論理的な表現習慣を越えて、「何がどうなっているのか」、「何のために、何をどうすべきか」を論理的、本質的に議論し、考え抜き、具体的に行動すべき課題を言葉で表現することである。ここでは「考える、話す、書くことと行動することは一体であり、問題解決の基本である」という考えに立っている。

 「英語は『論理』」は、論理的な英語を書くためのハウツウ本的なものであるが、日本人が問題解決にあたって、日本語をつかって論理的に考えるための具体的なヒントが盛りだくさんである。
 ところで昨年末、ニュースステーションを見ようとテレビのスイッチを入れると、ノーベル文学賞の大江健三郎さんが渋谷の街で若者にインタービユーをされていた。大江さんと渋谷の若者という取り合わせは、何とも奇妙な感じがしたが、久米さんとの会話の中で、「女子高校生との話で、彼女は書くこともしっかりやっていると感じた。考えることと話すことと書くこととは、トライアングルの関係にある」というような事をおっしゃっていた。またアメリカの友人で文学理論家エドワード・W・サイードについても語り、若者が「自分の考えを明瞭にはっきり表現する力」をつけるために、「句読点をつけて話す、書く」ことを勧め、「Articulacy」という概念について紹介されていた。

 先の日本版6シグマツールの視点から、この時の大江さんの話をもっと詳しく確かめたいと思っていたところ、「子供らに話したことを、もう一度 エドワード・W・サイードの死の後で」という講演録を見つけることができた。この講演録は、大江さんが子供達に向けて書いた『「新しい人」の方へ』をもとに、サイードを巡って話した内容が中心になっている。
 大江さんは「子供の私が、考えるというのは言葉で考えるんだということに気がついた。友達と話して上手く言えなかったこと、自分では正しいと思いながら、友人や先生に反対されて相手を説得できなかったことを、家に帰って紙に書いてみる、紙や鉛筆がないときは口の中でブツブツ文章にしてみる」ことをよくやったと言っている。そしてサイードについては、イスラエルと戦うパレスチナ人の抵抗を支持してきた彼が、この夏、白血病で亡くなった時、サイード家に悼む気持ちを寄せてきた多くの人に、女優である娘さんがEメールで送った文章の一部を、自らの訳で次のように紹介している。「その最後の日に、父はパレスチのために、また自分が考えを明瞭にはっきり表現する力と、書いて書き続ける力を失ったことを悲しんで、人前で涙を流しました。父は私を病床で励ましました。戦いを続けるように、同僚達とのつまらない個人的なすれちがいを乗り越えて、書いたり演技したりしなさい」。

 大江さんは自分が胸を突かれるのは、「明瞭にはっきり表現する力」という部分であり、その訳のもとになる「Articulacy」という言葉は、「サイードの文章の本質を言い表している言葉であり、こういう場合にサイードの娘さんがこの言葉を使っていることに、私は胸を突かれるのです」と語っている。


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