大きく方向転換した |
アルメニア共和国の経済状況は、1988年のアルメニア北部を震源とする巨大地震の発生と1991年のソ連邦の崩壊による独立、民族紛争などの政治的混乱を経て、大幅な財政赤字、対外債務の増加、貿易収支の大幅赤字、高失業率に直面し、開発途上国への政府及び政府関係機関からの国際協力活動(ODA)の支援を必要としていた。この状態を解決するためにアルメニア政府は大きく方向転換を図った。 アルメニア政府は、ソ連時代の産業資産の売却、民営化をすすめ、1990年代後半以降は海外直接投資促進と輸出振興を目指して民間セクター振興を国是に掲げ、さまざまな政策を打ち出してきた。 |
アルメニア北部地震やソ連邦の崩壊による経済的政治的混乱を見て、欧米各国が中小企業への支援活動に乗り出した。日本政府は、旧ソ連邦の構成国であったアルメニアに対し、1988
年の北部のスピタク地震に際しての国際緊急援助隊の派遣やがれき除去のための建設機械の供与を含む緊急復興支援を行っていた。 日本政府は、アルメニア政府の要請により「民間セクター開発計画調査」のために、調査団を派遣した。アルメニアの中小企業振興政策やビジネス環境、中小企業、民間人材育成について現状と課題を調査し、中小企業人材育成分野での協力の可能性について提言した。その中で、中小企業に対する経営技術支援を行うための「中小企業創造活動支援センター」の設立を提案したのである。 この経過を経て2005 年6月には、アルメニア共和国と日本政府の間で技術協力協定を締結した。当初の技術協力には、研修員受入、専門家派遣、開発調査、技術協力プロジェクト等があり、技術協力プロジェクトの一つに「中小企業人材育成プロジェクト」を組み込まれることになった。 日本政府は、これらの事業を「独立行政法人国際協力機構(JICA)」を通して受け入れることになった。アルメニア政府関係者は、日本が第2次世界大戦後急速に回復し、発展したことに強い関心を持っていた。特に生産管理、品質管理、品質保証体制の構築などの生産技術の向上による高品質の電機、電子、機械製品の生産体制の構築が日本の産業の回復発展に寄与していたことに興味を持っていた。 |
「JICA」は開設にあたり、神奈川県の特色を活かした国際協力活動の新しいプロジェクトを模索し、連携先の調査を行っていた。2004年10月、「神奈川県における国際協力事業のための地域リソース調査報告書」が作成し、この中で研修事業として「地域経済活性化のための企業創出・育成支援コース」を提案し、最も適切な実施機関として、「神奈川異業種連携協議会 :異グ連」を推挙していた。「イグレン」の発足以来20年間の地道な中小企業支援活動が評価されたのであった。 このような経過から、アルメニア共和国の本邦研修事業は、アルメニア政府→日本外務省→JICA横浜国際センター→神奈川県異業種連携協議会という経緯で、「イグレン」が受託することに決定したのである。 |