アルメニア共和国
周辺の国々
トルコ

アルメニアの西隣はトルコである。トルコとはジェノサイド問題があり国交は開かれていない。
 アルメニア大虐殺ジェノサイドは、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺された事件の総称である。
 現在問題とされているのは、第一次世界大戦中に起きた虐殺事件であり、オスマン帝国政府による計画的で組織的なジェノサイド(虐殺)だったされている。
 「アルメニア人ジェノサイド」とも呼ばれる。21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコ共和国は国際的に非難されているが、トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない

この事件は、約100年前にオスマントルコ帝国がアナトリア半島の東部に住むアルメニア人を大虐殺したのが始まりであった。この時犠牲になったアルメニア人は150万人とも200万人とも言われている。エレバン市内に、2005年「ジェノサイド記念碑」を建設し、毎年、犠牲者の追悼式が行われている。この経緯もあり、アルメニア人は、トルコ人を許していないとえい、現在国交が持たれていない。 


アゼルバイジャン

アルメニアの東隣にアゼルバイジャンがある。ここにアルメニア人が多く住むナゴルノカラバフ地域があり、これが「ナゴルノカラバフ問題」となっている。
 アゼルバイジャンの領域の中に、アルメニア人が多く住んでいる地域があり、ここに住む民族アルメニア系住民が自治共和国を目指して独立を要求しているがアゼルバイジャンが許可していない。
 これらの地域は、1910年代にソ連政権に抵抗したが力で編入された歴史がある。ソ連邦傘下にある間は、同じソ連邦傘下で特に問題にならなかった。しかし、ソ連邦が崩壊して独立する際にアルメニア人がアゼルバイジャンに含まれるのを拒否し、ナゴルノカラバフ問題の発端となった。アルメニア人はキリスト教、アゼルバイジャン人はイスラム教で民族的に対立がある。

 この地区の住民の80%ほどがアルメニア人であったが、アゼルバイジャン人はこのナゴルノカラバフ域外に逃れている。ナゴルノは「山が多い」、カラバフは「黒土のぶどう」という意味である。逆にアルメニアの南側にアゼルバイジャン領域があり、アゼルバイジャンの飛び地となっている。アルメニアの東側山麓地帯と南側は、現在紛争地域となっており、危険地帯といわている。

日本のマスコミが、アルメニアを話題にすることは非常に少ない。2020年9月に話題になったが、見出しは「アゼルバイジャン紛争拡大」となっており、内容はアゼルバイジャン寄りである。アルメニア系住民が、多数派のナゴルノカラバフを巡り、政府軍とアルメニア側が1994年停戦後最大の衝突となったと報じている。

 ナゴルノカラバフは、アルメニアが事実上保護領としてきており、アゼルバイジャンがその奪還を図っていると報じられている。 トルコは民族的に近いアゼルバイジャンを指示している。一方、ロシアとアルメニアが軍事同盟を結んでおり、アルメニアに軍事基地が置かれている。これらの4つの国は、それぞれの立場があり、非常に関係は複雑である。最近のロシアのウクライナ侵攻問題がは、アルメニアにとっても他所事ではない国際問題であるにちがいない


グルジア(ジョージア)

周辺国で最も良い関係を保っているのは、北に位置するグルジアである。アルメニアは、海に面していないために国外に出るためには、良好な関係にあるグルジアの方を経由しなければならない。陸路での貿易は、ほとんどがグルジア経由である。
 しかし、これを見越してグルジアは、通過する物資に対して税金を課しており、これがアルメニアにとって貿易のひとつの障害になっている。

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