ボトムアップ型 日本版6シグマなのか J・ウェルチの 「6シグマ」に学んで! |
今日アメリカ経済は、IT時代に入り、「従来型大企業の再生」とその再生を基盤とした「ベンチャー企業の創出」によって、再び世界市場を大きく支配している。 |
1980年代までのアメリカ企業では、マニュアルで動く「指示統制、管理中心の組織」が一般的であった。ベルヒュード研究会は、このタイプの組織を「M0型組織」としてモデル化した。 これに対して、日本企業は、「タテマエやルール」を自主的に守る「和と協調の組織」が中心であった。このタイプの組織を、M0型に対して「M1型組織」としてモデル化した。 日本企業の品質管理を支えた製造現場の小集団活動は、「M1型組織」の所産であった。当時の製品の品質において、日本の企業がアメリカの企業の追随を許さなかったのは、まさに「M1型組織」の「M0型組織」に対する勝利であった。 (1)トップ主導の「6シグマ」に対して |
アメリカのGEやモトローラ、デルコンピュータ、インテル等大企業の「6シグマ経営」は、トップ主導型の「People Out」と「Work Out」を両輪として、大量の雇用を放出している。しかし、経済全体の再建は、次の3本の柱で進んでいる。
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日本は1960年以降、10年以上にわたって10%台の高度成長が続き、74年にはオイルショックで一時的にマイナスを経験したが、その後はバブルの発生で最高水準に達した90年まで、平均して4%台の中成長が続いた。 これまで日本は、「規格工業製品」の大量生産を得意とし、世界の市場をリードしてきた。しかし主役は、既に東南アジアや中国に移っている。日本のいかにコストを下げ、いかに安い販売価格に耐えるかという低コスト化、低価格販売競争路線は、ほぼ限界に達している。 |
アメリカ企業の「6シグマ」は、1979年、日本のポケベル市場に参入しようとした通信機メーカのモトローラ社が、日本のメーカと比較して自社の不良率の高さに驚き、品質改善活動に懸命に取り組んだことが発端になった。 その後、「6シグマ」は品質改善のための「問題解決活動」として、成功した他社から学ぶ「ベスト・プラクティス運動」の流れに乗って、テキサス・インストルメント、IBM、アライドシグナル等、従来型大企業を中心に暫時広がりを見せ、アメリカの「モノづくり復活」につながっていった。 中でも1995年、GE社のジャック・ウェルチが導入を決意し、「GE版」とも言うべき「6シグマ」を展開し、大きな成果を上げ、世界でもっとも尊敬される経営者として評価されるに至った。「6シグマ」は、ジャック・ウエルチの成功によって、世界各国に一気に知られる結果になり、欧州企業やアジア企業にも広がっていったのである。 「6シグマ」とは、統計学上の概念である「標準偏差:σ」の6倍の範囲内に品質のバラツキを押さえようとする考え方である。「ものづくり」で言えば、これまでの3σ、つまり歩留まり99.73%という品質管理レベルを、6σ、つまり99.99966%、「100万個中、不良品を3,4以下に押さえる」というレベルにまで改善しようとするものである。 「6シグマ経営」は、さらに次のように「定義」することができる。 ①製品やサービスに対する「顧客の声:VOC(Voic e Of Customer)」を重視し、 ②製品やサービスの品質不良に関わる「内部要因:CT Q(Critical To Quality)」を解決し、 ③業務や製品・サービスの不良の発生を100万個中3 から4個レベルという「6σ」をめざし、 ④「顧客満足:CS(Custmer Satisfaction)」を実現 し、 ⑤「無駄なコストや機会損失:COPQ(Cost Of Po or Quality)」を極小化する。 それは、「顧客満足:CS」を重視し、製品やサービスの品質問題だけでなく、経営方針、目標を明確にし、情報の発信と共有化によって、社員の目で業務を見直し、知恵を出し合い、業務を革新するという「企業の組織文化」の変革をめざすものである。 戦後、日本の企業は品質にこだわり、当時の日本製のテレビや腕時計は、既に「6σレベル」に達していた。品質管理の面で遅れをとったアメリカは、トップ企業の経営者を中心に、日本企業の品質管理に学ぶ姿勢を持っていた。 日本の企業は品質改善への取組みを、製造現場のボトムアップ的な小集団活動に限り、経営や業務全体のプロセス改善に向けようとはしていなかった。 しかし、アメリカの企業は、「6シグマ」を製品をつくることだけでなく、経営方針や目標の実現のために、全社各部門の業務を革新し、のための「問題解決活動」として、トップ主導で取組むならば、日本製品に勝てると考えたのである。 |
今日、日本企業の国際的な競争力は、急激に失われている。企業の意思決定や人材育成、組織づくりは、「第一変曲点」以前の右肩上がりのキャッチアップ型経営を支えた「M1型組織モデル」の中に組み込まれたままである。 「日米GDP比較表」をもう一度見て戴きたい。アメリカは80年代、日本の追随を受け、構造的不況に陥っていた。しかし、85年から95年にかけて、生産性向上のための経営改革に必死に取り組み、急激な立ち直りを見せている。 |