金総書記が死去、正恩新体制発足
2012
市政2月号
(全国市長会)
 

北朝鮮を独裁支配してきた最高指導者の金正日・朝鮮労働党総書記が昨年12月17日朝、急性心筋梗塞を引き起こし死去した。69歳だった。
初代の金日成主席の死亡を受けて、1994年以来ずっとトップに君臨してきた。後継者には予想通り、三男の正恩氏(28)が早々と確定した。国葬では葬儀委員長を務め、葬礼行事を締めくくる中央追悼大会(29日)で、総書記の思想と指導力を受け継いだ「党と軍と人民の最高領導者(指導者)」と呼ばれ、総書記の死去から僅か二週間弱で、正恩新体制の発足が公式に宣言された。翌日には労働党政治局会議が開催され、正恩氏が朝鮮人民軍の最高司令官に任命され、軍権を掌握した。
だが、三代目の正恩氏は若い上、指導者としての経験と実績は皆無だ。新体制は親族や軍・党幹部の側近たちよる集団指導制に移行し、遺訓に従い軍優先の「先軍政治」を継承することになりそうだ。


死期悟り中国詣で繰り返す
金正日総書記の死去には、恐らく中国以外のどの国も虚を突かれたのではなかろうか。同総書記は2008年8月に脳卒中で倒れ、重病に陥り、その年の建国60周年記念行事を欠席するなど長期にわたり公の場から姿を消した。北朝鮮当局は病気を否定していたが、翌年の春に平壌市内を視察中のやつれた姿が公開され、これでは「長くは持つまい」との噂が巷を駆け巡った。ところが、2010年になると、再起不能との見方を打ち消すかのように、5月から2回訪中、2011年もさらに2回訪中し、8月にはついでにロシアにまで足を伸ばした。このため、健康を回復し、当分は大丈夫との見方が外部では支配的となっていた。

今から振り返ってみると、2年間に4回もの訪中はまさに異例だ。ちなみに、2010年の訪中は4年振りのことだったのだ。死期を悟った総書記が悩ましい後継者選びや厳しい経済情勢といった難題を意識し、中国との良好な関係維持に腐心した結果であろう。当然ながら、中国には総書記の健康状態の把握に絶好の機会となったはずだ。

性急さ目立つ新体制の発足
金正日総書記は脳卒中発症の後、病魔と闘いながら、後継者選びに最大の努力を傾けた。長男の権力継承が伝統だから、本来ならば、長男の正男氏(40)が最有力だったが、日本への不正入国による逮捕事件などが原因で外されたという。次男の正哲氏(30)も繊細過ぎるとかで見送られ、結局、白羽の矢が立ったのが一番若い三男の正恩氏(28)だった。在日朝鮮人の高英姫氏(故人)を母に、1983年1月に生まれ、96年から4年間スイスで勉強、金日成政治軍事大学で軍事学を学んだという。

後継に選ばれた理由についてははっきりしないが、気が強い点で総書記の眼鏡にかなったという。2010年9月には、労働党代表者会で、実質的に最高の権力機関とされる党軍事中央委員会の副委員長に選ばれ、指導部の集合写真では金正日総書記らと最前列に座を占め、人民軍の大将の称号も与えられ、事実上の後継者として世界中に報道された。

金正日総書記の突然の死はその僅かほぼ一年後だったのだ。正恩氏は若く、指導者教育の時間は余りにも短かすぎた。このような事実が食糧にも事欠く一般市民の間にも広がってしまうのを恐れ、側近グループはその前に、正恩新体制を正式発足させようとあせって、殊のほか急いだようだ。

金正日総書記の場合は、すでに大学卒業直後から党内の要職を歴任し、後継者教育を十分に受けてきた。金日成主席の死後、事実上の後継者となったが、それでも長期のわたり喪に服し、派手な活動を自粛したのと比べると、大きな違いがある。

親族と軍が後ろ盾に
新体制は遺訓を受けて、先軍政治を推進し、金日成主席の生誕100周年に当たる今年を「強盛国家」実現の勝利の年にする方針だ。全体的には、前政権の内外政策を踏襲し、大きな変化は当分見られないだろう。若い正恩氏の後ろ盾となるのは、親族と軍・党の幹部たちで構成される少数の側近グループである。

親族では、金正日総書記の妹の金敬姫・党政治局員(65)、その夫の張成沢・国防委員会副委員長兼党政治局員候補(65)、軍では李英鎬・総参謀長(69)、金正覚・総政治局第一副局長(70)、労働党では金永南・最高人民会議常任委員長(83)、崔永林首相(81)らがこのグループに属する。

この中でも、正恩新体制の中核的な実力者と噂されるのが張成沢氏と李永鎬総参謀長の2人である。

特に、張成沢氏は妻の金敬姫氏とは大学時代の同窓生、金正日総書記の大学の後輩でもあり、後に同総書記の最側近となった人物だ。血のつながりはないが、正恩氏にとっては頼りがいのある親族である。事実、国葬の際には、総書記の遺体を乗せた霊柩車の右側先頭を歩いた正恩氏のすぐ後に立ち、後見人的な存在を内外に印象付けた。しかも、総書記の遺体との対面式に、初めて軍服姿で登場し、その肩章から大将の階級に昇格していたことが分かった。新体制で軍にも直接影響力を及ぼしうる立場にあるわけだ。

また、李英鎬総参謀長は先軍政治の中で、あらゆる面で新体制擁護の役割を期待される。国葬で霊柩車の左側の先頭に立ったのも、新体制における重鎮振りを示す何よりの証左だろう。軍内の強硬派とされ、制服組のトップとして、軍をしっかり統率できるかどうか、様々の不安を抱えて船出した正恩新体制のまさに命運を握る人物となりそうだ。(1月3日)


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