新連載
 その66  タイのトムヤンクンでぶっ倒れた経験


                   海外では疲労の蓄積が恐い
トムヤンクンは、タイの伝統的なエビ入りのスープである。辛いが、日本人には結構好かれている。この辛いスープ、トムヤンクンで失敗した話である。
真夏の非常に暑いバンコックでは、冷房の効いたレストランに入って、飲むビールの味は格別である。直射日光の暑い中で仕事をした後、この冷たいビールに救われる思いをするのは私だけではないだろう。この時は、丁度出張で顔を合わせた日本人4人で食事をすることになった。ホテルのロビーで待ち合わせて、現地駐在員から聞いて予約していたトムヤンクンがおいしいと評判のレストランへ繰り出した。
顔見知りの気安さもあり、普段の憂さを晴らしながら、それぞれ苦労話を始めた。冷たいビールを一気に飲み、トムヤンクンを流し込んで幾らも経たなかったろうと思う。急に、胃の辺が重苦しくなってきた。内部が圧迫されるような異様な気分である。痛いのではない。どうも今までに経験したことのない気分だ。不安感に襲われた。少し頭もふらふらする。そのうちに目の前がふっと薄暗くなる。一生懸命、気を取り直そうとするが思うようにいかない。テーブルの上に両肘を突いたまま、話をすることもできない。その内、じっと座っていることも苦しくなってきた。冷や汗も出てきた。気分が悪い。座っていられなくなってきた。

友人の一人が突然静かになった私の様子に気がついたようだ。唇が紫になって、震えている。気が遠くなりそうだ。もう耐えられない。"横にならせてくれ"と言うだけで精一杯である。友人たちもビックリして両脇を抱えて近くの木の長椅子に運んでくれた。ベルトをゆるめて、ワイシャツの釦を外し、圧迫感を取り除いてくれた。しばらくの間、じっと横になって楽になるのを待った。30分くらいで回復したが、もう食べるところではない。友人たちが食事を終わるまで、2時間ほど横になって待つ羽目になった。

後日談であるが、その時の様子から、友人達は私がそのまま死ぬのではないかと心配したそうである。そのくらい顔色が悪かったという。最近、その友人の部下が、会社で倒れて帰らぬ人になったばかりであったという。そんなことから、恐怖心が友人を襲ったという。私は2日ほどバンコックで休養させられ、会社の命令で日本に強制送還になってしまった。帰国した翌日、早速病院で心電図や脳のCTやらを受けたが、幸いにも何も異常はなかった。本当に迷惑を掛けたものである。

考えてみると、その日は、フィリピンのマニラから飛行機でタイに到着した日であった。離陸してから、着陸するまで天候の状態が悪く、乱気流が続き、スチュワーデスも揺れのため機内サービスが全くできないほどであった。朝食をとってから、夜になるまで何も口に入れていなかったのである。空っぽの胃袋に、良く冷えたビールを流し込み、トムヤンクンという辛いスープを食べたために胃袋がびっくりして、貧血状態になったと言うのが帰国後の医者の診断であった。

私は、辛い食べ物にはあまり抵抗がない。むしろ辛いものを楽しむ方であった。チキンティッカという、ほとんど赤唐辛子をまぶして真っ赤になった若鳥のモモを食べた時には、翌日までお尻がヒリヒリするような、そんな辛さを味わった経験もある。だからトムヤンクン程度の辛さはまったく問題がないと甘く考えていた。当事は、飛行機を乗り継ぎ、仕事をするのにも慣れてきていた。自分では、疲れているという自覚症状もなかった。しかし、海外では無理はいけない。これくらいは大丈夫と甘く考えてはならない。特に、日程的に無理が重なった時には、注意が必要である。

この事件が原因で、私の海外出張の回数が大幅に減少した。若い担当者に出張は任せるようになった。海外で病気になられてはかなわない。特に、死なれたりしたら会社にとっては、大変である。あのトムヤンクン事件がなければ、更に無理を重ねて疲労が蓄積し、重病で本当にぶっ倒れたかもしれない。あの程度で軽く済んで良かったのかもしれない。


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