新連載
      その60   アラブの習慣と文化     
     18    「目には目を、鼻には鼻を・・・」


              コーランは許すことの大切さも明記している 

 イスラム教に、鞭打ちの刑があることは良く知られている。

 「鞭打ちの刑」の情報がと町に伝わると、刑場となる広場には、たくさんの人が集まる。鞭打ちの刑を見物するためである。刑の執行は、すべて広場でみんなの見ている前で行われる。犯罪者に対して刑罰は当然であり、公衆の中で実施するのも当然と考えられている。犯罪を少なくする見せしめのためでもある。刑の執行は、事前に知らされて、見物人はその広場には何時間も前から集まる。犯罪者は、罰を受けるだけでなく、公衆の面前で辱めを受ける事になる。刑を執行された後、見物人は盛大な拍手をして終了となる。

 罪が重いほど「鞭打ち」の回数も多い。窃盗などの刑では、窃盗の金額の大きさや悪質さで鞭打ちの回数が決定される。その同じ犯人が反省せずに窃盗を何度も繰り返すと、それ以上に盗みができないように指をきられたり、手首を切断する刑もある。更に悪質な殺人などでは断首もある。

 イスラム教のコーランには、「目には目、鼻には鼻、…..、すべての傷害に同様な報復を」と記されている。原典は有名なハムラビ法典であろう。イスラム社会ではコーランが基本的な法律であり、現在も適用されている。刑罰は、コーランの記述に照らし合わせて決定される。これらの犯罪に対する刑の執行は、外国人犯罪者に対しても例外ではない。このような理由からか、出稼ぎ人口の多いサウジアラビアでは犯罪が非常に少ない。

 ある日、子供が交通事故に遭い、不幸にも、その子供は亡くなってしまった。親の悲しみは深く、「子供に代わって、俺がおまえを殺してやりたい」というほど加害者に対する怒りと憎しみは大きい。この怒りと憎しみを何とかして加害者へぶつけて報復したい。鞭打ちの刑くらいでは、この怒りと悲しみを抑えることはできない。加害者に俺と同じ悲しみと苦しみをあたえたいと、被害者の父親はどのように報復すべきか考えた。コーランも同じような報復を許している。そして、途方もない報復方法を考え付いた。

 私の子供を殺した加害者が、同じ悲しみと苦しみを感ずるには、彼の子供も交通事故に遭うことだ。彼が俺の子供を殺したのだから、同じように彼の子供も彼に殺させればいい。そして、加害者に要求した。「お前の子供を自分で轢き殺せ。」
 まさに「目には目を、鼻には鼻を、 同じ報復を」コーランそのままの解釈であり、加害者に対する最大の報復手段である。このような全く関係のない子供を巻き込んだ、人権を無視した報復手段は、これまで聞いたことがないし、考えられもしなかった。文化が異なるとは言え、このような解釈の仕方には大変衝撃を覚えた。しあkし、幸いこの刑罰は適用されなかった。

 コーラン6章45には、「生命には生命を、目には目、鼻には鼻、耳には耳、歯には歯、すべての傷害にも同様な報復を」とある。犯罪者には、それに見合った刑罰が科されて当然である。犯罪に対する刑罰を考えるとき、コーランに記された言葉は、疑う余地がないほど適切な表現である。そして、「目には、目を・…」と言う言葉だけが一人歩きし、この言葉だけが良く知られるようになった。被害者の父親は、この言葉を思いだし、報復しようと考えたに違いない。そして、最大の報復方法を思い付いたのであった。
 しかし、コーランのこの章の後段には、「その報復を控えて許すならば、それは、自分の罪の償いになる。」とあるのだ。「許せば、自分の罪の償いになる」。控えて許す。そして、報復をやめる。許すことは、被害者にとって、報復することよりも難しく苦しいに違いない。コーランは、いろいろな犯罪に対して、相応な刑罰について述べているだけでなく、被害者に許すことの大切さも明快に記しているのである。
 「お前の子供を自分で轢き殺し、俺と同じ悲しみと苦しみを知れ。」

 コーランは、この被害者気持ちを察して、同様の報復を刑罰に反映する。被害者の要求を理解した上で刑罰は刑罰として科し、被害者に対してもその気持ちを察して、許すように諭しているのだ。コーランの文章の後段にこの言葉を見つけたとき、イスラム教が三大宗教のひとつと言われる理由を発見したような気がした。多分、他にも同様な配慮をしている表現が数多くあるのであろう。

 世界の各地で宗教や民族間の争いなど多発している。イスラム社会がからんだ争いが、中東でも続いている。紛争は、解決の目処もなく、減少する様子もない。紛争が発生するたびに許し難い憎しみがさらに広がるように思える。紛争の当事者間には、それぞれ、厳しい立場やはげしい憎しみが残る。このような憎しみに相互理解という言葉を当てはめるのは簡単ではない。相互理解どころか、このような事態は益々エスカレートしているように思える。相手がイスラム教徒でないからだろうか。コーランにある、「その報復を控えて許すならば、それは、自分の償いになる。」が本当に生かされるのはいつになるのだろうか。


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