燃えるコストダウン活動
その1

製造業における
コストダウン活動の歴史的経過
 
  日本経済は出口の見えないデフレ不況が深刻化するなか、産業界とくに製造業においては、グローバルコンペティションに勝ち残ろうとするため、製品販売価格の低下による販路の維持に懸命である。経済情勢が悪化するなかで、当然の帰結として製造コストの大幅な圧縮がないと、将来の展望も描けない。企業内では、コストダウン圧力が各企業の存亡をかけて、具体的な手段があるなしに係わらず、異常な形となって各部門、各担当者に重くのしかかってきている。
  しかし、この圧力を前向きにとらえて、果敢に挑戦できるよう、思想をくみたて、方向性を見出しているだろうか。大部分の企業では、余りの圧力の強さに耐えるのみで、明確な対応を見出せないまま、その活動は不完全燃焼のなかで、低迷しているように見受けられる。
 顧みれば、戦後、製造業は幾多の困難をのりこえ、日本経済発展の原動力となってきた。竹村健一氏は「賢者は歴史に学ぶ」と常日頃言っておられるが、ここに、過去30年間の製造業のコストダウン活動がどういう方向性をもって取り組まれてきたかをふりかえり、現時点ではどういう方向性をもって取り組むべきか考えてみたい。

@昭和50年代
  中東戦争に端を発した原油の急激且つ異常な高騰により、製造業は従来の価値観の変革を迫られた。各社は「省エネルギー活動」に全精力をつぎこんだが、製造現場が主体的に動いて、30−40%の省エネルギーを達成し、国際的にも高く評価されたところも少なくない。まさに燃える製造現場があったと言っても過言ではない時期であった。

A昭和60年代
  日本経済の順調な発展と各企業のコストダウン活動の成果として、国際競争力が飛躍的に強化され、作りさえすれば、幾らでも売れる時期となった。生産量を増加すれば、単位あたりのコストは大幅に低下し、低コストになれば更に売れるという好循環が経済活動の隅々までいきわたり、いわゆるバブル景気を謳歌した時期である。コストダウンは「生産能力増強」により、主として固定費ダウンの形で実現された。

B平成初期
  生産量増大にともない、生産手段の供給に歪が生じ、とくに労働力不足が重点課題となった。企業の中には生産に必要な労働力を確保できず、やむなく生産量未達に陥ったところもあった。若年層の趣向の変化も著しく、例えば夜、休日勤務を忌避する風潮が生じた。夜間無人化工場をターゲットに活動した会社も多い。労働力不足を解消するため、製造業は「省人化」をコストダウン活動の方向性として打ち出した。その頃急速に進歩し、普及したIT技術を積極的に導入する事により、成果をあげることができた。

上記の取組みにおいて共通的なことがいえる。

* 活動はその時代のニーズに合った思想の構築の上に成立しており、夫々
  方向性をもっていた。
* 活動はボトムアップを基本として、製造現場のやる気への依存度が高く、現
  場は使命感を抱き、燃える活動の主体者となった。
* 反面、活動が製造現場に限定され、経営の全部門にいきわたったところは
  少ない。また、対市場というより内向きの行動をとっていたと思われる。

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