新連載
 その41 現地監督者の成功も、結局は人柄次第 

              嫌われたら、現地人のサポートが得られない。

 日本企業は色々な形で海外に進出し、工場や事務所を持っている。海外進出企業の推移を見ると、1990年代後半は減少の傾向にあるものの、ここ10年間では、年平均1000件ほどになる。進出の理由は企業によって異なるが、製造業に限って言えば、円高による製品や部品の価格競争力の低下とキツイ、キタナイ、キケンという労働力の3Kばなれがある。

 これだけの企業が海外進出をするとなると、現地工場へ派遣される適任者の数も十分とはいえなくなる。日本で管理監督能力を高く評価された人が、海外でも同じように能力を発揮できるとは限らないからである。
海外へ赴任する場合の能力条件として語学があるが、もちろん語学の得意な人ばかりではない。商社でもない限り、海外へ赴任することを考えて入社していない。そのような心の準備もしていないし、仕事をしながら語学を修得する余裕もなかったというのが普通である。むしろ語学については、得意とは言えない人の方が多い。結局、日本国内における管理能力や技術的能力、人間的な魅力から、「あの人なら大丈夫やってくれるだろう」と言うことで、海外工場の責任者となることが多いのではないだろうか。

 海外へ進出する条件として、言葉の問題は検討されるが、他の諸条件から英語が通用する国ばかりとは限らない。このようにして赴任した責任者が困るのはやはり言葉である。英語であれば、少々勉強するチャンスはあっても、その外の言葉となると多くははじめてである。
 最初は仕事にならないため通訳を頼むことになる。しかし、仕事は毎日変化があり、常に必ず何か指示をしたり確認しなけれればならないことが発生する。だが、いつも通訳がいるとは限らない。病気で休むこともある。そんなわけで、責任者はどうしてもそれなりに話ができるようにならなくてはならない。そこで、少しは英語を理解できる人を見つけたり、例えば中国なら筆談でコミュニケーションを試みるようになる。中国系の従業員がいる東南アジアなら、大抵筆談が可能である。

 1970年代、日本の履き物や繊維関係の工場が東南アジアへ大分進出した。そのため日本人と働いた経験のある現地人も多い。台湾では、歴史的に比較的日本との関係が深く、日系の工場で働き、日本人との仕事に慣れた人が多い。これらの人たちは、結構日本語で対応してくれる。
 その他東南アジアの国々では、日本語での対応は無理でも、英語で対応してくれている人が多い。彼らは、新しく赴任した日本人担当者には貴重な存在になる。日本人と共に仕事をした経験のある担当者は、日本人の使う英語に慣れている。彼等は、英語の単語を並べただけでほぼ確実に意図を理解してくれる。もちろん周囲の状況で、それとなく意図を理解し、判断できるからであるが、英語に自信のない責任者にとっては、この種の担当者の存在は大きい。
 
 突然海外転勤を命ぜられ、責任者として赴任した日本人たちの多くはは、これらの日本人担当者に大変助けられている。会議の席上での発言や日常の指示なども彼等が正しく解釈して、現地語で関係者に伝えてくれる。彼等がいなければ仕事にならないと言ってよいくらいだ。ただし、この種の担当者は、数が限られている。全部がこうではない。会議に出席して、自分のそばで話を聞いてくれているからと、当然理解してくれていると勘違いして話しを進めると、とんでもないことになる時もある。そんな場合は、彼らの間で十分咀嚼できる時間を与えて、待つ方がよい。慣れてくると、しばらく話をした後で、次の指示を待つ雰囲気が出てくる。こうなればしめたものである。意思の疎通も短時間で出来るようになる。勘のよい現地社員に助けられるようになることが多い。

 ところで、新しく外国に赴任した日本人が成功するかどうかは、結局、彼らの人柄に依るところが大きいように思われる。外国で成果を上げている人を観察すると、現地の人たちのサポートが不可欠である。しかし、それは結局、日本人監督者の人間性で決まってくるようである。高い給与だけでは、最初はうまく行くようにみえるが、長続きしない。横柄で強引すぎると、みんな従っているように見えても十分な情報が入ってこなくなり、段々協力が得られなくなる。常にフェアでみんなに対して同じように対応し、この人のためであれば、一生懸命働こうという気を起こさせる、結局人間的な魅力が決め手になってくるようである。従業員へ横柄に対応している責任者が、日本から出張してきた上司にぺこぺこしたりすると、途端に軽蔑される。みんな良くみているのである。要求すべきことはきっちり要求し、彼らを公正、公平に扱得る力が基本でもある。平凡な結論であるが、どんなにがんばっても現地の人たちに嫌われては、成果になって現れない。


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