新連載
 その33  地図を使わない
            カイロのドライバー
 


              砂漠の生活では地図は無用なのかもしれない
 慣れない海外の大都市内での移動は、現地に進出している企業や商社の車のお世話にならないと、仕事にならない。しかし、毎回の出張たびごとに、現地の駐在員や商社の人に頼ってばかりはいられない。タクシーに助けられることも多い。
 しかし、路上で掴まえられるタクシーは、危険な国もある。ホテルで頼んだ方が、値段は少々高くつくが安心である。ホテルで頼むタクシー運転手はさすがに地理にも詳しく、日本の運転手以上に親切にやってくれる。たいていの都市では、住所だけで、目的地へ案内できる。この点は、住所番地が複雑に入り組んでいる日本とはだいぶ違う。

 海外旅行をすると、日本人であれば、観光客でもビジネスマンでも、その都市の地図を購入し、自分のいる場所と訪問したいところを確認したくなるのが普通であろう。私も、何度も訪問した都市ならいざ知らず、初めての都市では、地図で滞在するホテルと全体のアウトラインを確認する。実際の移動の際は、現地の駐在員やタクシーの運転手任せになるが、訪問する相手先の所在は地図の上で見当を付けておく。

 ところで、我々が日常使い慣れており、当たり前と思っている地図で思わぬ経験をしたことがある。エジプトのカイロでのことである。ある日、事務所から大部離れた現地企業を訪問した。私にとっては、はじめての訪問先であった。この時は、現地の日本企業の車で移動し、そこで雇われているドライバーのお世話になった。しかし、途中寄り道したこともあり、私自身が、方向を見失い、訪問した会社の場所の見当がつかなくなってしまった。
 事務所に帰って、先程の運転手をつかまえて、購入した地図で訪問先を説明してくれるように頼んだ。しかし、なかなか教えてくれない。地図を見て、斜めにしたり、逆さにしてみたりして考えている。ここが今いる事務所であり、この道を最初に行ったことは覚えている。そのあとどの方向へ行ったのか説明してくれと頼む。
 いやに時間が掛かる。相当時間を掛けた末に、この辺だという。しかし、どうも違うようである。カイロでは気候にもよるがピラミッドが相当離れたところからでもみえる。地図とピラミッドの位置から、ある程度方向の検討はつく。慣れない私でも大きな間違いはわかる。どうも違うようだと指摘をする。彼も、自信がないらしくもう一度見直してくるという。そして、ここだという。その場所も違うようである。分からないとは言わない。

 彼をよく観察していると、どうも地図に戸惑っているようである。地図を始めてみるわけではないようだが、地図で教えてくれと言われたことがないようだ。地図がなくても住所などを聞けばどのあたりか分かるらしい。彼は会社の専任ドライバーであり、雇われて2年以上になる。日常は、住所と訪問先を言えば間違いなくつれていってくれる。わからない場合は、運転手仲間に聞いて解決してくれる。それでほぼ間違いは起きていない。彼にとって、地図を使用する習慣や考えがなく、地図を使う必要もないのである。彼の友人達も地図は使わないとのことである。

 我々がはじめてゆく場所へ車の運転をする場合は、だいたいの地図を頭に描いて目的地へ運転する。もっとも時間の掛からない経路を選ぶ。小さい時から、地図の見方や使い方を教わる。常に地図を見る習慣があり、場所を説明する時には、地図を書いて説明をするのが当たり前になっている。観光旅行でも、最初から地図を買って場所を選定することから始める。

 カイロの車の運転手は、地図を使わない。しかし、一度訪問した相手先は、決して忘れないで案内できる。はじめての訪問先も友人に聞いて何とか解決できる。携帯電話もないから途中で確かめることはない。少々時間はかかってもなんとかなる。少なくとも彼らは、地図の見方を教わっていないし、地図を見たり、使ったりる習慣もない。

 日本との文化の違いという理由だけで説明がつかないこともある。ナイル川を離れると広大な砂漠が続くエジプトである。砂漠に入れば、道は嵐で消えてなくなってしまう。昨日まであった砂丘も翌日には移動してしまい目印にもならない。詳細な地図などあってもすぐに使えなくなる。確かに砂漠の中で暮らした彼等の祖先は地図がなくとも困ることはなかったのかもしれない。その時に会った運転手には彼等の祖先の血が脈々と流れており、地図などに頼らなくても、目的地に行ける本能があるのかもしれない。現代に生きるカイロのドライバーにも、その祖先の遺伝子が組み込まれていて地図は不要なのだろうか。

 砂漠で生きた人達にとって道を忘れることは、命にも影響した筈である。プロのドライバーとして、道路は決して忘れることがないのかもしれない。カイロ市内近辺は、彼らの頭脳に記録するにはそれ程範囲が広くないのかもしれない。ピラミッドという大きい目印があって、それを基準にして運転しているのだろうか。次にカイロを訪問する機会には、どのような方法で記憶しているのか、ぜひ確かめてみたいと思う。             


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