新連載
 その16  人に仕事を教えると損をする


                 研修の技術や資料も個人のもの

 海外生産をしている企業では、現地従業員のためにいろいろな研修が計画され、実施される。しかし、指導や研修の内容は本人どまりで同僚たちには伝わらない。日本の企業が海外工場を展開する際には、採用した現地の人を日本で研修させる。生産ラインで製造や組み立てに関する実務のほか調達方法など教育訓練する。また、東南アジアや中国に進出した企業や工場では、出向している日本人が色々な情報を提供したり、業務上の指導訓練をする。選ばれたメンバーは、誇りを持ち、大変熱心で意欲もある。知識や技術の習得は非常に速い。

 「次は、皆さんが現場で部下や同僚に指導してください。」と十分言い含めて訓練終了となる。しかし、それから先が問題だ。指導を受けた本人たちは、帰国してもそれを周辺の人たちや彼等の同僚や部下には教えようとしない。
 それどころか、訓練のために配布した資料も自分でしっかり確保して他人へ見せない。全てが個人の大切な財産としてしまいこまれる。日本人が期待した指導はされない。
 修得した知識や技術、ノウハウを部下やグループ内のメンバーに指導し、マスターされると、仕事のライバルが増えることになる。

  相対的に自分の立場が悪くなり、給与にまで影響を及ぼすと考える。 現実の問題として、うまく指導すればするほど、周辺にライバルが増えて、自分の存在価値が脅かされる。指導した者がいつまでも、部下や周りの者より高い給与が保障されるとは限らない。近い将来、能力のある部下が自分より高い給与を得ることになることを恐れる。時には、自分の仕事さえなくなるかもしれない。人に仕事を教えると損をするのだ。
 
  戦後、日本では、先輩たちが欧米諸国から品質管理を始めとして、生産技術や生産管理など非常に多くのことを学んだ。研修を受けた企業や団体の代表者は会社に返って企業内で学習の機会を持ったり、部下に指導したりして、広く普及させた。
 日本が現在のように発展をしたのは、寺子屋での指導にさかのぼる、学んだものを広く社会に伝達したことに起因する。グループ内や部下に広く伝授したことが、企業全体のレベルアップに非常に貢献した。さらに企業内だけでなく、傘下の企業や他企業の人たちへも指導していった。そこには知っている人達から知らない人へ教え、共に研究し、向上しようとする喜びさえあったように思う。当時、日本科学技術連盟や日本規格協会の品質管理講習会へ私も参加した経験があるが、そんな雰囲気があった。これによって日本の産業は大きく発展した。
 このように東南アジアと違って日本の先輩たちが、周辺の人たちへ躊躇なく広く伝達、指導したのには、年功序列という制度が背景にあったからだと思う。
 指導訓練された部下が、よほどのことがない限り、指導したものの上に立ったり、高い給与を得ることは考えられなかった。年功序列制度が部下と立場を逆転しないことを暗黙に保証してきたため、安心していくらでも同僚や部下に教えることができた。

 その国の技術のレベルアップを図るためには、できるだけ多くの人に直接教えるのが良い。せっかく時間とお金をかけて指導しても、しばらくするとその能力で他の会社へ高い給料で移っていってしまう者もいる。日本で教育研修すると、それだけで彼等の能力を高く評価する企業が増え、ジョブホッピングも多くなる。
  企業としての研修は、ロスがおおく、糠にくぎを打つようなものだと言う人もいる。同僚や部下に伝わることは僅かであるが、少なくともその人たちの役には立っておりレベルアップにはなっている筈である。その人たちが、工場などで管理する立場になり、指導することが損ではなくなる。その時には、今やっていることが本当に役に立つ。


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