新連載  
   その13   「問題ない」は大問題 


                  ―習慣と文化の相違に気をつけて―

  「この品質は維持できますか。」、 「ノープロブレム、問題ない。」

  こんな会話が日本から出張するビジネスマンと海外の営業や品質責任者との間でよく交わされる。実はこの“問題ない”が後々色々な問題に発展することが多いのである。当方の説明や要求をよく聞かずに、また、十分要求を理解しないで実に軽く、時には儀礼的に「問題ない。」と答える。「ノープロブレム」と言わないと話しが先に進まないからだろう。質問されて営業窓口が考え込んでしまっては、日本の担当者に信用してもらえない。そして、商談にならないことにつながるからだ。また、日本の担当者も、「ノープロブレム」に「大丈夫だろうか。」と言う疑問は持ちながらも、日本国内での経験でこの程度なら問題なく解決できるだろうとの期待から話しは先に進む。 

 「ノープロブレム。」この言葉は、リズムも良く、理解しやすいから本当に問題がないものと信じてしまうことも一因であろう。とにかく話は一見スムースに先に進むのである。技術的仕様の問題、期待する品質のレベルなど、本質が正しく理解されないまま、表面上は、何の問題もなく、順調に進んだかのように交渉は、ハッピーに終了する。打ち合わせは順調に進むために、たいてい議事録を取ることさえ忘れ、内容も十分確認されない。そして、こんなに我々の要望や仕様を簡単に理解する良い工場もさがせばあるものだ。ラッキーだ。うまく言ったと思って帰国する。

 さあ、あとが大変である。日本の担当者は、こちらが要求した内容や仕様は、すべて理解されたと信じ、疑いは持たない。その後の確認などの相互のコミュニケーションは、日本の企業に対する態度や考え方と同じレベルと方法で続けられる。まして多忙な中、多くの時間は日本の企業との交渉であるから、この海外の企業に対しても同じ調子で一方的になりがちだ。

 ところが時間が経つにつれて少しづつ話が食い違ってくる。そんなことはない筈と思いつつ、そのたびに出張訪問した時と同じ内容の話が繰り返される。そして、その度に“大丈夫ですか?”“ノープロブレム”が繰り返される。

  こんなことを何度か繰り返すうちに、相手の理解がどうもおかしいと思い始める。そして、最終的に理解がおかしいどころか、ほとんど理解していないことがわかってびっくりする。こちらは、私どもの要求や期待を十分理解してくれていると思っているが、相手は従来の慣習やレベルの範囲で要求や期待も、“この程度であろう。”と推定して軽く考えているだけである。特に問題意識は持たないし、ギャップも感じていない。「何とかなるだろう。」くらいに思っている。そして、サンプルの提示や限度見本の確認、提出に話が進むにつれて、こちらの要求内容が非常に厳しいことを知ってあらためてびっくりするのである。

 「問題ない。」どころか大変な問題であることに気が付くのである。お互いに理解したつもりが、それぞれの従来の習慣と経験の中での要求やレベルで理解したと思っていただけのことだったのである。日本と相手国の文化とか習慣の相違からくるのか、実は品質や仕様のレベルに関する考え方に大きい差があることに気がついてはいなかったのである。

この文化や習慣の違いについて、早い段階でどちらかが気がつき修正にかかれれば何とかなるが、気が付くことが遅れれば遅れるほど修復が困難となる。不信感が増大し、時には破局へと進むことさえある。 

  このような問題を起こさないためには、当方の期待することや要望すること、疑問に思うことを出来るだけ具体的な言葉で表現し、具体的に回答が得られるように会話を進めることである。曖昧な表現で終わってしまうと相手も満足したであろうと判断し先に進んでしまい、確認することを忘れたり、質問するタイミングを逸してしまう。出来るだけその場その場で、疑問点は一つ一つ解決する労を惜しんではならない。そして、お互いに確認できる言葉による会議のメモを交換し確認することである。ビジネスであるから、お互いに利害関係が逆である事が多い。同じ言葉でも自分たちの有利なように理解してしまう事が多い。悪意ではないにしても、ギャップはあるものと考えてそのギャップを少しでも少なくするように配慮したいものである。

 お互いのコミュニケーションにはミスがあるとの前提で交渉に付き、確認して丁度よいのである。うまく行っているときにも、議事録の確認は怠ってはならない。          


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