新連載  
   その9
  物乞いと花売り 1 


  中国

  大きいホテルの前の大通りには、乞食がいる。いい歳をした大人の乞食もいるが、我々にとって困るのは幼い子供の乞食だ。通りを歩いているとと2〜3歳位の小さい子供が擦り寄ってくる。物乞いである。なかなか離れようとしない。最初は穏やかに手を振り払って無視しているとだんだん子供の手がポケット付近にまで上がってきて、ついに上着をつかみ始める。本当にしつこい。

  最初は気つかなかったのだが、近くに母親がいて子供にもっとしつこく要求しろとけしかけているようである。二十歳後半から三十歳位の母親である。母親は自分自身では物乞いをしない。子どもの方がもらえる効率が良いらしい。子供も何がしかの金を貰ってかえらないと、母親に叱られるから必死でつきまとってくる。これには本当に困る。子供だからあまりに無碍にもできない。穏やかにしていると,、どこまでもついてくる。ついに“うるさい!”と大きい声を出すことになる。

  つきまとわれた外国人は情に負けて、ついつい少額ではあるがあげてしまうことになるらしい。外国人にとっては少額でも彼らにとっては、ちりも積もれば結構な金額になるだろう。だから乞食は減らない。一度少額でもあげてしまうと、近くにいる別の乞食が見ていて、「俺にもくれ」と近寄ってくるから始末が悪い。中国人の友人は、お金をあげると彼等は、働かなくなるから上げないでくれと言う。働かないでお金を得る方法が分かると、働く意欲をなくしてしまう。よい撃退方法はない。子供の乞食が来たら早足で逃げるように歩くことだ。

  時々、両足とも切断した身体障害者が大通りの歩道で物乞いをしているときもある。近くの裏通りに住んでいるのだろうか。誰かがそこまで連れてきてくれ、乞食できるようにするのだろうか。見ないわけにもいかずに困る。経済の成長率が高く、活動的な都市の中に垣間見る裏面である。


 インド

空港から出て車で街の通りに出てくると5歳から10歳位と思われるかわいらしい子供達が近寄ってくる。口もとに手を当ててから、そっと小さい手を出し“マニー”と小声でいう。食べ物がないので金をくれという意味のようだ。
 インドの子供達は顔の彫りが深く、非常に知的である。風呂にでも入れて汚れた手足と顔を洗い、身ぎれいな洋服を着せれば、実にかわいらしくなること間違いない。インドの子供達は、物乞いをするにしても控えめで穏やかである。いやみもなく、逆に何とか救ってあげられないものかと思ってしまう。日本でも終戦直後の頃は、我々同年代のものが駐留するアメリカ人に対して同じようにチュウインガムをねだっていたと聞いたことがある。バンガロールのようにハイテクで発展する都市がある反面、いまのインドには、50年ほど前の日本の状態の部分もある。

  ボンベイでは、ホテルの近くの海岸通りを散歩していると、大人の乞食が近寄ってくる。ここでもその行動は穏やかでいやみは感じられない。
  我々にとっては少し寒いくらいの気温の朝、海岸の公園のベンチでは、毛布ではなく、薄い布きれ1枚を2人でかぶり身を寄せて、朝を迎えている人たちもいる。ベンチが当たらなかった者は、コンクリートの冷たい地面の上で眠ることになるのであろう。幾組かのそんな人たちも見える。上野のホームレスのようなテントや段ボールは見られない。日本の冬ほど気温が下がることはなさそうだが、高層ビルディングが数多く立ち並ぶ大都市の一面である。

インドの物乞いは、穏やかでひかえめである。そっと静かに“マニー”と手を出されると自分のポケットの小銭を上げざるを得なくなってしまう。そして、良かったのだろうかと考えさせられてしまうのである。       


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