日本版6シグマの展開
「QCサークル活動」の歴史から考える!

 「6シグマ」は、経営方針や目標実現のために、「6シグマツール」を武器として課題設定から最適アプローチ策の策定、実行まで、経営と現場が一体となって取り組む全社的な問題解決活動であるが、「QCサークル活動」で実績を上げてきた日本では、「品質管理」の延長線上で説明されることが多い。
 「6シグマ」は、100万回のオペレーションでもにミスを3.4回という「6シグマレベル」に抑えるという確かなアプローチ方法が売りである。
 しかし、「6シグマ」を展開していると宣言しているものの、まだ「品質管理」の業務の範囲で取り組まれている例が一般的である。
 本来の「6シグマ」は、このように狭いものではない。企業経営活動全般へ導入することで、成果を出して行こうとするものである。
 日本がアメリカから導入した「品質管理」を「QCサークル活動」へ展開したように、日本的な「6シグマ」もあっても良いだろう。この「日本版6シグマ」をどう展開し、どう運用するかについて、日本の「QCサークル活動」の歴史を振り返りながら考え直してみたい。 


日本の「品質管理」の歴史

 日本の「品質管理」は、第2次世界大戦の復興後しばらくして始まった。いろいろな製品の生産ははじまったものの、戦後の日本製品の品質は「安かろう、悪かろう」で日本製品の全般的な評判は良くなかった。
 GHQの指導のもとに統計的品質管理が大きく取り上げられ、各メーカーは必死になって「管理図」や「抜き取り検査理論」、「実験計画法」などの「品質管理」の勉強に取り組んだ。「品質管理」に関するラジオ講座がNHKでも放送されました。
 企業においては品質管理部や品質管理推進室が設置され、"検査では品質は保証できない"、"不良品ができないよう最初から品質は工程で作り込まなければならない"と言う考え方が大切だということが次第に浸透していきました。

QCサークルの誕生
 このような背景のもと、日本の「QCサークル」が生まれたのは、1962年(昭和37年)です。「品質管理」は、単に学ぶだけでなく、実践に結びつけなければ意味がありません。そこで製造現場を中心に、各職場単位や生産ライン単位で小グループをつくり、簡単なQC手法を使い、改善活動をはじめる動きが見られるようになりました。
 当時、日本科学技術連盟は『現場とQC』誌を発刊し、そのグループを"QCサークル"と名づけました。そして、QCサークル活動は全国的な活動へと展開していきました。各グループは競って『現場とQC』誌にグループ名を登録したものでした。
 1963年には「QCサークル全国大会」が開催され、1978年には、「国際QCサークル大会」が開催されました。この大会には、日本の「品質管理」を直接指導されたジュラン博士も招待され、出席しています。

 「QCサークル」のねらいは、個人の人間性を尊重しながら、自主的に自分達の仕事を管理し、改善活動を推進していくことにあります。グループ活動を通じて個人やサークルの成長を図り、企業の体質強化や発展への寄与を期待することができたのです。
 ラインで働く人たちもたいへん学習意欲があり、マニュアル通りに作業をするのではなく、自分たちの仕事のやり方に関して、問題点を見つけ出し、さらに能率の良い方法はないかと議論を進めながら仕事をしました。改善点は、マニュアルの改訂にまで及びました。
 
 これらの業務は、従来の欧米のやり方からすると技術者の行うレベルの仕事であり、ラインの作業者が自ら行うということは、極めて日本的な活動であったといえます。この仕事の進め方は、人間性の尊重のもとに、人間が持つ能力の無限の可能性を引き出し、最大限に発揮させ、企業の体質改善・発展に結びつけるとともに、生きがいのある明るい職場をつくることにつながりました。

駆使された「QC七つ道具」
 この「QCグループ」のメンバーは,残業時間にQCの考え方・手法などを勉強し、自己啓発・相互啓発をはかり、運営も自主的に行い、活動を進めました。この最初の段階では、QC手法として、「QC七つ道具」と言われる「管理図、特性要因図、パレート図、散布図、層別、チェックシート、ヒストグラム」等がよく使われました。
 「QC七つ道具」は、使い方が比較的容易で、この手法をマスターし、目的に応じて手法を正しく使うことにより、大変な成果を収めることができました。二十歳前の若い女子社員がこの「QC七つ道具」を自由に操り、成果を上げた話をQCサークル発表会で堂々と報告する姿は、多くの企業の男性社員に影響を与え、QC手法の普及にも大変効果がありました。
 
残業手当も報償もなし
 
当時、このQCサークル活動に対して、残業手当を支給した企業もありましたが、残業時間の二分の一しか残業として認めない企業や全く残業時間として認めない企業も多くありました。また、これらの活動の成果を、直接業績評価に結び付けた企業は少なかったようです。
 生産ラインの不良率が下がり、作業効率が上がれば、そこで働く担当者の評価は上がって当然のはずですが、改善した効果金額がそのまま評価には反映されませんでした。日本の給与体系が横並び評価の為に、「QCサークル」で大きい成果を上げても、そのまま給与に結び付けられることはなかったのです。成果に対する報奨は、全社での発表会への参加や「全国QCサークル大会」への出席の形で行われました。
 経営者・管理者の役割として、このQCサークル活動を企業の体質改善・発展に寄与させるために、人材育成・職場活性化の重要な活動として位置づけ、全社的な全員参加の活動を指導し、支援してきたことは間違いありません。
 しかし、全体からすると、自主性の尊重と言われながらも、QCサークル活動における権限の範囲は、工場長や製造課長の手のひらの上だけという、非常に狭い範囲のものでしかありませんでした。

ホワイトカラーは敬遠
 この「QCサークル活動」を製造部門だけでなく、管理部門や間接部門のホワイトカラーを対象に導入すべく、努力をした企業もありました。一時期、間接部門だけの「QCサークル大会」も開催されましたが、定着するには至りませんでした。
 現在とは異なり、ホワイトカラーとブルーカラーの区別が歴然と存在し、「QCサークル活動」は、製造部門の製品の品質向上のための活動としてのみ捉えられたのです。
 ホワイトカラーは、自分たちの業務は他から評価されるようなものではなく、「QCサークル」のような取り組みは、"俺たちが行うものではない。"と言う意識も強かったのも事実のようです。

「QC」の「Q」は
企業全体の業務の{Q]であったはず 
 日本のQCがホワイトカラーを巻き込めなかった一番の原因は、「Quality Control」を、最初の段階で「品質管理」と翻訳してしまったことにあるのではないかと思います。「Quality」の本来の意味には、「性質、属性、特性、才能」など、非常に広い「質」があります。「Quality of Life」(文化的生活環境基準)と言うような使い方もされます。
 しかし、「Quality Control」を「品質管理」と訳した場合の"品質"は、「Quality」の本来の意味の一部しか表現していません。従って、「QC活動」のねらいが、企業全体の業務の品質ではなく、製造部門を中心とする製品の品質に限定された嫌いがあります。
 そのために「QC活動」は不良率を小さくする活動から脱却出来ずに、間接部門や管理部門にまで展開されることはありませんでした。人事部門や経理部門でも実施された例はありましたが、「目標管理」という手法が導入されたこともあって、「QCサークル」として結成される範囲も小さくなっていったようです。

かつての勢いがなくなった
QCサークル活動
 その後、海外の企業もQCサークル活動を導入するようになりましたが、長続きしていません。成功して継続しているのは、日系企業に限られます。しかし、日系企業の中でもQC活動として発表できるレベルのものは、ごく僅かに過ぎません。日本における「QCサークル国際大会」への参加などで、日本へ出張する機会が発表者に与えられるというインセンティブがないところでは運営も難しくなっています。
 ドイツやフィリッピン、アメリカ等では、「QCサークル大会」の発表者が、一部報奨的な扱いで順番制になっています。実際の活動は、製品の品質向上だけではなく、「業務の改善」として日常実施していることを統計的手法でまとめ、発表する形をとっています。
 日系企業以外の海外企業においては、自主的にグループを作り、終業後に残業手当てなしでQCサークル活動を行うことはまず考えられません。日本的文化のない企業においては、「QCサークル」の発想は起きないし、ラインにおける労働者が自主的に「QCサークル」を結成して、継続的に成果を上げたというような例は聞いたことがありません。
 
 日本では様々な製造業において空洞化が侵攻しており、製造ラインで働く労働者も減少しています。また、製造ラインの機械化や自動化が大きく進んできています。さらに、労働者の意識も変化してきています。「QCサークル全国大会」も継続されていますが、かつてのあの勢いはなくなっているようです。若い人たちの仕事に対する意識も大きく変化しつつあります。日本企業でも終業後に残業手当無しで「QCサークル活動」をすることも難しくなっています。


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