その117
ミヤンマー便り (11)
経済制裁の解除に備えておきたい

日本政府は、1954年にミャンマー政府と平和条約を締結し、賠償協定を結んでいる。そして、1963年経済技術協力協定を締結して以来、色々な形での経済協力をしてきた。
1988年ミャンマー国内の民主化要求デモにより、26年間続いた社会主義体制が崩壊し、国軍がデモを鎮圧して政権を掌握した。1989年2月日本政府は現政府を承認し、従来からの伝統的な二国間関係を基本として軍事政権成立後も対話を継続してきた。最初のスー・チー女史の拘束事件においても彼女の即時解放、自由な政治活動の速やかな回復を求めてきた。しかし、2003年5月のスー・チー女史がミャンマー政府によって拘束されてから、欧米諸国にならって経済制裁に近い形で緊急性が高く、真に人道的な新規案件についてのみ検討し、ほとんどの案件については援助や支援の実施を見合わせている。

欧米諸国は経済制裁をしているが、国連は従来どおりの協力を継続している。技術協力は、戦争状態で派遣する技術者に身の危険があるとき以外は通常中断などありえない。ミャンマー以上に治安状態が悪い国や地域に対して技術者を派遣している実情もあると聞く。現実に新規案件のほとんどが中断している状態は、ミャンマーを戦争状態を超えた悪い状況と想定したものである。今回、我々が訪問している間も、ヤンゴン、バガン、マンダレーの3都市すべて全く危険は感じられず、むしろ他の東南アジアの国々よりも平和で安定した国に思われた。国境の一部の危険地帯を除き、ミャンマーにおいて外国人が生命の安全などの危害を受けた情報は報じられていない。このような状態でごく一部の人道支援を除き、経済協力、技術協力が中断しているのは正しい判断のようには思えない。ミャンマーの現実を見たとき、東南アジアの他の国々よりも各国の支援や海外からの新規事業への投資を必要とすると思われるので日本政府のこの対応は大変残念なことである。

今まで、タイをはじめとして、インドネシア、マレーシア、中国など東南アジアの国々に対して経営コンサルタントやシニアボランティアが派遣されて、中小企業への経営指導助成や支援、経営診断制度の作成などに活躍してきた。現在ミャンマーに派遣されるメンバーは非常に限定され、お互いの交流や情報交換さえも難しい。JICAは政府の独立行政法人という微妙な立場にあって、欧米諸国と共に軍事政権に援助を差し控えなければならない状態にある。

もし、経済制裁などの状況が好転したとしてもミャンマーでは、新しい企業の設立は手続き上制約が生ずることが考えられる。よき時代に進出した企業は、状況の好転を期待して、完全撤退をせずに事務所を残し、いつでも事業再開ができるような体制を維持し、責任者が定期的に訪問し情報収集に当たっている。

今回の訪問は、色々な制限の中で短時間であったけれども、情報を入手し、状況を確認できたことは貴重な体験となった。現在ある細いパイプを通して情報を交換しながら、経済制裁が解除に備えてミャンマーのために何らかの貢献ができるような準備はしておきたいものである。

back