その106
インドネシアの経済状況

1970年におけるインドネシアの一人当たりのGDPは、US$77と最も貧しい国のひとつであった。それが、1973年10月の第1次石油ショックと1979年の第2次石油ショックが石油収入の急増をもたらし、国家財政を豊かにし、経済成長に貢献した。政府はその収入の一部を「プリブミ(非中国系先住民)企業育成」に投資した。
しかし、二度にわたる石油危機は、1980年代初頭の世界経済に停滞をもたらし、その後石油需要は激減し、インドネシアの経済成長は伸び悩むことになった。税収の伸びの鈍化に直面したインドネシア政府は、1983年以降、規制緩和による経済改革を実施した。また、1986年の石油価格の暴落は、政府に石油以外の収入を増やす必要を痛感させ、外資の積極的導入へと政策を大きく転換させることになった。

規制緩和による経済改革
1987年末に実施した大型の規制緩和策は、民間企業の自由な投資をもたらした。しかし、民間部門の比重を高めることは、ノン・プリブミ=華人系企業の力に頼ることを意味し、ノン・プリミブは多くがキリスト教徒であることから、政権を脅かす存在へと巨大化した。そこで、1988年3月にスハルト大統領は、これらの勢力を低下させるためイスラム勢力へ接近し、1990年には「インドネシア・ムスリム知識人協会(ICMI)」を設立し、これまで政治参加を禁じられてきたイスラム勢力に新たな道を開くことになった。
1988年10月に行われた金融自由化は、バブル現象を招き、銀行の数を大幅に増やし、民間企業は不動産投機ブームに湧き、競って高層ビルを建築した。しかし、この民間投資はインフラ整備が進んだ首都ジャカルタに集中したため、都市と農村の貧富の差は拡大し、急発展したジャカルタでもスラム街の発生、犯罪率増加などの都市問題が深刻化した。さらに、バブル投資のために借り入れた対外債務が莫大な金額に達し、債務返済が国民経済を圧迫することになった。このようないくつかの問題はあったものの、1980年代にはGDPがUS$500を越え、1990年代初めにはUS$700に達し、フィリピンと肩を並べるまでに成長した。

1997年7月2日のタイバーツの急落で始まったアジアを中心とした経済・金融危機により、インドネシアは非常に大きな打撃を受けた。原因は経済や金融構造の脆弱性にあった。そこでIMF体制下で規制緩和、透明性の確保に取り組む方向を打ち出した。
11月1日に発表された経営不振の民間銀行16行の清算処分は、金融機関に対する信用不安をかき立てる結果となり、US$1=2,400ルピアから値を下げたルピア相場は再び落ち始めた。1998年1月にはついに1ドル1万ルピアを突破し、一時17,000ルピアを記録した。原因は、1996年以来の高金利政策でルピアが過大評価されていたことと90年代前半のバブルで、民間企業が大量の外貨を、為替のリスクヘッジを行わずに、短期債務の形で外国から借りていたことにあった。結果的に貸し出し残高の70%が不良債権となり、GDPは1980年のレベルに逆戻りしてしまった。

新民主化体制による経済の自由化
1998年からの政治の新民主化体制により、経済の自由化が進められ、外資参入の規制業種を示すネガティブリストの縮小や外資の国内銀行への出資規制の撤廃など外貨規制緩和の動きが効果を表しはじめて、インドネシア経済は1990年代の前半のレベルにまで回復してきた。
ここ2〜3年のオートバイ、カラーTVや白物家電など、インドネシアにおける個人消費向け耐久消費財の国内需要の伸びが10〜20%を示しており、自動車販売台数の伸びも順調である。原因は、最低賃金の急激な上昇で実質賃金が上がり、中位程度の人達の購買力が大きくなっていること金融機関のローンの拡大にある。
これらの経済活動で2000年以降実質GDPの成長率は、00年4.9%、01年3.3%、02年3.7%と順調に推移しており、2003年は4.0%を予測している。2002年10月のバリ爆破テロで下落したルピアも持ち直しており、金利は13%を割り込む水準になってきている。これらの状況をいつまで継続できるかが課題である。

加工品輸出型産業の行方
インドネシアの経済に大きな影響を与える外国からの直接投資は、資源輸出型から加工品輸出型へ移行している。しかし、現在でも加工品の輸出比率は高いとはいえない上、最近の中国製造業の低価格、高品質製品の世界各国への供給体制やこれに伴う各国の投資家の資源を中国へ移動させる動きは、インドネシア加工品の輸出比率の改善を困難にしている。
中国の台頭で世界の生産拠点は、東南アジアから中国へ移転する動きを見せており、ASEAN諸国の投資の誘致競争も益々激しくなっている。事実、2002年の対インドネシアへの直接投資は、2000年、2001年に比較して約40%弱落ち込んでおり、実質GDPが継続して、ここ2〜3年と同様の伸びが可能かどうか不明である。これらの外国投資拡大のための対策として、政府は諸手続きの簡素化である「ワンルーフサービス」、投資企業に対する税制の優遇措置、バタム島とシンガポールの協力関係など解決のための新政策を打ち出した。
更に政府は、主要な経済政策として、安定性の向上、雇用機会の拡大、市場の信頼回復、銀行・金融の再編、非石油・ガス部門の輸出促進、民営化プログラムの迅速化、主要インフラの整備をあげている。しかし、これらの経済政策は、一部以外は、外部の投資家にとってそれほど魅力的には見えない。逆に外資系企業の生産拠点の移転により、内外の投資の落ち込みはアジア地域におけるインドネシアの相対的地位の低下をもたらし、今後の経済への不安を大きくしている。
このことに危機感をつのらせ、2003年2月27日政府は投資促進を目指して「2003年投資イヤー」を宣言し、外資誘致のための投資環境を整備する強い姿勢をアピールした。この新方針がどこまで投資の流出を食い止めることができ、そして新しい投資を呼び込むことができるかまだ予断を許さない状況にある。

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