創造的情報処理プロセスについて

創造的組織「M5型組織」をつくる
STプログラム「
M−5型問題解決技法

 「M−5型組織=理の世界に生きる組織=問題解決力のある組織=創造的組織」をいかにつくるかについて、アナログ情報の累積的な収集と処理をベースにした「M−5型問題解決技法」を創造的組織「M5型組織」をつくる「STプログラム」として位置づけています。


「KJ法の表札づくり」から学ぶ!

  そのプログラムの一つ「基本的課題のコンセプト化」については、川喜多二郎元東工大教授の 「KJ法」の「表札づくり」が参考になります。

 後述しますが、この「表札づくり」のプロセスを理論的に説明しようとして、市川先生の「等価変換論」に到達したという話を紹介しました。


「KJ法の創造的情報処理のプロセス」は、
 次の「3つのステップ」から成っている。

 第一は広く情報を受け入れ、率直かつ丁寧にその意味するところを理解し、的確に「ステートメント化」するステップです。
 

 例えば、部下の言いたいことを十分聞いてやり、「結局、君はこういうことをいいたいのか」と確認しあう姿勢や力のようなものです。
 
 第二は同じような意味の情報を集める「グルーピング化」するステップです。

 ここでは、一端「同じようだ」と認識した情報について、それぞれが意味するところの微妙な「違い」がわかる力が必要です。この力を弁別能力といいます。各銘柄のビ−ルの味の違いがわかる力のようなものです。
 
 第三は違いを明確にした上で、その情報が持つ具体的な部分を捨て、共通した本質的な部分を発見し、その内容を的確に表現するステップです。
 
 この共通した本質的部分を浮き彫りにし、ステートメント化する力を
「同定能力といいます。会社等の組織で言えば、上司が頼りない部下にも仕事をまかせられるのは、結局、部下と自分との間に共通した部分を認識し、同定できるからだと言うことができます。


背景としての
湯川博士の道程理論序章

  博士は、創造性の問題の解決の手がかりが「類推」の能力に見いだされるとして、市川亀久弥氏はこの「類推」の問題を「等価変換論」という形に発展させたとして評価しています。
 博士は「ニュ−トンがリンゴの落ちるのを見て、なぜ月は落ちてこないのかを疑った」という話をもとに、「リンゴと月の運動の違いを認めた(
弁別した)上で、両者の運動に共通した本質を類推(同定)しようとして、万有引力(表札)を発見した」という趣旨の説明を行っています。


「創造的情報処理プロセス」に関連して、
次に2つの話を紹介します。

第一は
小椋佳さんの話です

 つい昨日の「TBS・サンデ−モ−ニング」で、小椋さんはやまとことばの
「ふるまい」という言葉をもとに、自分らしくふるまい、生きることについ「弁別」と「同定」に通じる話をされていました。

 これまでの組織の中で、人々 にとって、自分らしくふるまい、生きることは、かえって不自由なことであった。しかし、和と協調を暗黙に強制する組織のタテマエを
断る(ことわる)勇気が必要だ。断るとは、異なる(ことなる)に通じ、自分と周囲の「違い」を主張することである。
 
 和も協調も
異なる人々理り(ことわり)をもとに一緒になる(同定)ことではないだろうか。この意味で自分らしく「ふるまう」とは極めて創造的な生き方である。

第二は
法隆寺夢殿の救世観音菩薩像の話です。

「M5型組織モデル」の中で、「和と協調のM1型組織」からの解放についてふれました。この組織観はとりもなおさず、聖徳太子の「和を以て尊しとなす」という思想と対峙せざるを得ません。
 
 このことに関連して、哲学者の
梅原猛先生が、「隠された十字架」の中で、次のような趣旨のことを述べています。
 聖徳太子の現し身と言われる
 救世観音は、光背が直接釘で頭
 に止められている。
哀れな太子
 よ、あなたの子孫を殺した者の
 子孫は、一族の相次ぐ不幸にお
 ののき、太子自身にあなたの子
 孫達の鎮魂を行わせようとしい
 る。
 
  怒れ、太子よ。あなたの内面
 に鬱積している怨念を、激しい
 行動を伴う怒りに変えよ。

  あなたは仏教という理想を
 もっていた。「和を以て尊しと
 なす」と17条憲法の中で言っ
 ている。あなたの理想は和だ。

 怒り、恨みはあなたの理想に反する。
しかし、太子よ、あなたは知っている。和という言葉は、現支配者にとってはいつの場合も有利であり、被支配者にとってはいつも不利であることを。和とは忍従の別名である

 あなたの霊を薄暗い八画堂に押し込め、行動の自由を奪い、子孫の鎮魂を行わせようとしている、この残酷きわまる屈辱を、あなたは和を以て耐えようとするのか。和の道徳を捨てよ。
 
 
太子よ、今こそあなたは、和の精神を捨て、忍従を捨て、微笑を捨て、あなたが説いた道徳を、今、あなた自身が弊服のごとく捨てねばならない

 太子等身大のこの仏像には、救世観音という名がつけれている。その名ゆえに、太子は屈辱を受けた人間に許される唯一の権利である怒りすら奪われてしまったのか・・・・。


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