双葉町復興支援
プロジェクト活動状況

高校時代の級友から力強いメールを戴きました。
双葉町の隣町浪江町出身で、高校時代一緒に汽車通学した級友植田孝正さんから、双葉町復興支援プロジェクトのサイトを見たということで、下記のような力強いメールを戴きました。彼は土木エンジニアで、仙台から東京のベルヒュード研究会にも駆けつけて戴いたこともあります。是非、双葉町の皆さんにも伝えたいと思います。

井上さんへ
ご無沙汰しております。仙台の植田です。ベルヒュード研究会による双葉町のボランテア支援活動のサイトを拝見しました。頑張ってください。双葉町も浪江町も同様な状況です。宜しくお願い致します。植田が若かりし頃、設計に携わった三陸津波対策事業の「譜代川水門」が津波を防いだという新聞と雑誌の記事を送付いたします。 2011.4.27 植田孝正

記事の主な内容
岩手県普代村に設けた防潮水門などが東日本大震災で効果を発揮。同村の中心部や集落を大津波から守った。3月30日時点で行方不明者は1人出ているものの、死亡者はゼロ。住宅への浸水被害も出ていない。三陸海岸に面した普代村は、普代川に沿って中心部を形成している。1896年に発生した明治三陸大津波では、1000人以上の死者や行方不明者を出している。
この明治三陸大津波を対象に、普代川の河口から約300m上流に建設したのが普代水門。水門の高さは15.5mで、長さは約200mとなっている。岩手県が高潮対策事業の一環で総事業費35億6000万円をかけて建設した。完成したのは1984年。
普代水門は遠隔操作で水門の開閉をできるようになっているが、操作中に地震の影響で停電。一部を久慈消防本部の職員が手動で操作して、津波の到達前に水門を閉めた。津波は到達時に水門を越えたものの、水門から約200m上流付近で停止。水門の上流側に設けた管理用の橋が破損したが、住宅などに浸水の被害はなかった。


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